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日本人観光客のいないプーケット [2005年06月10日(Fri)]

日本人観光客のいないプーケット [2005年06月10日(Fri)]

バンコクで、ワールドカップ予選のサポーターの様子を追っかけた後。プーケットに行ってみることにした。
昨年末の津波で、多くの死者が出たわけですが、そのプーケットが、今どうなっているのかを見に行ったのだ。
バンコクからの空路で移動したのだが、早朝の便だったため、お客が少ない。荷物も、あっというまに、出てきたので、地震の後、お客さんが激減したのかも・・・なんて、勝手に想像する。
空港の出口には、ホテルからの出迎えが来ていた。
運転手が、ここで、待っていろと言うので、待っていると、なんと、ボルボがやってきた。このボルボでホテルまで送ってくれるというのだ。
プーケット島は、道がきれいに整備されていて、ボルボの中は快適である。
それにしても、車窓から見える風景は、報道されていたような津波が本当にあったのかと思うぐらい、ごく普通なのだ。
確かに、潰れている家などがあるのだが、これは、タイなら、どこでもある風景という感じである。
40分ぐらい走っただろうか、プーケットのビーチの中で、一番にぎやかな、バトンビーチの少し北にあるホテルに着く。
ここは、夕日が美しいのがウリのホテルのようだ。
ホテルの真ん中には、滝のあるプールがあり、そのプールを望む部屋と、海を望む部屋とがある。
私たちは、少し値段の安い、プールの見える部屋に泊まることにした。この部屋で1部屋一日1500バーツ(4500円程度)だ。
さっそく、海の見えるレストランで昼食を食べる。
昨日までの、バンコクと違って、水がすごく美しい。
生まれも育ちも、甲子園。しかも、浜の近くで育ったので、波の音を聞くと落ち着く。今の季節のプーケットは、雨期で、少し波が高い時期ということもあり、遊泳禁止ではあるが。この波は、サーフィンにはもってこいで、何人かがサーフィンを楽しんでいる姿が見える。
プールの方に目を移すと、白人の老夫婦が何組かと、若い韓国人のグループ、そして、イスラム教徒の家族ずれが、プールの周りにいる。
そのうち、イスラム教徒の家族ずれが、プールに入り出した。もちろん、お母さんもプールに入る。驚いたのは、女性は、肌を見せてはいけないという習わしのため、母親は、長袖のジャージを着たまま、プールに入り、子供たちと遊んでいた。
なるほど、こういう手もあったか。
さて、夕方になり、ビーチの方に行ってみることにした。
ホテルから、バトンビーチの中心地までは、シャトルバスが運行されている。
定刻になると、バスは満席になる。
私たちの向かいには、先ほどのイスラム教徒の家族と一緒になった。どうも、彼らはUAEから、プーケットに観光に来ているとのこと。どの子供も、目がくりくりっと大きくて、とてもかわいい。
まずは、このプーケットの中心地のバー街を歩くことにする。
日本人観光客が少ないという事前情報を聞いていたので、私たちが日本人だとわかるように、バンコクの競技場の前の商店街で、140バーツで買った、日本代表のレプリカユニフォームを着て歩き、日本人がすれ違うと反応でわかるような仕掛けをしている。
ちなみに、このユニフォームは、背番号は「20」しかも、去年バージョンなので、背中に「玉田」と書かれている。
まだ、時間が早いせいか、バー街は、お客さんが少ない。ニューハーフのおねーさんたちが、しきりに、バーに入るように促すが、この場は、もっと、いろんな所をみたいので、振り切る。
南北に通る道に出て、南の方に歩いていく。
途中で、うしろから「玉田だ」という声が聞こえる。バックパッカー風の男性二人組がいた。実は、彼らが、アポイントを入れた以外で、出会ったはじめての日本人観光客だった。
タイの一町村一品運動である「OTOP(One Tambon One Product)」の店があるというので、行ってみることにする。
Tambonとは、タイに7600個以上ある小さな地方自治体で、市というより、町や村に近いものだ。
とはいえ、実際は、お土産屋街だった。お土産屋さんは、日本人だと解ると、カタコトの日本語で話しかけてくる。しかも、サッカーの日本代表のユニフォームを着ているということで「ナカタ」「イナモト」という具合に、知っている選手の名前を言って、気を引こうとする。
しかし、背中には「タマダ」と書かれている。
呼ばれる割合は「ナカタ」9割「イナモト」1割という感じで、圧倒的に、「ナカタ」の知名度が高い。「イナモト」も、「ナカタ」と声を掛けた次に出てくるので、かなり知名度が高いと言っていい。「タカハラ」もあった。しかし「ナカムラ」は、知名度が低いようで、結局一度も呼ばれることもなかった。
そんなことで、しきりに「ナカタ」「ナカタ」というタイ人に、「ノー・ナカタ」と返していると、そのうち背中に書かれた「タマダ」という名前も覚えたらしく、「タマダ グレート、プレイヤー」なんて、声を掛けてきた人もいた。玉田選手は、日本代表に選ばれる選手であり、素晴らしい選手に間違いはないが。このタイ人の客引きは、玉田選手が、どんなプレーをして、どのような成績を残しているか、知らないで声を掛けてるに違いない。
そんなことで、今度は、屋台街に差し掛かったところ、「日本2-0 ワールドカップ」という声を掛けてきた、サッカーシャツを着た客引きがいた。そして次に「このユニフォームは、いつの日本代表のユニフォームだ」と聞いてきた。
彼は、かなり、日本のサッカー通らしく、今は、高原選手が背番号20という事を知っていて、聞いてきているのだ。
玉田選手は、今は28番で、去年のアジアカップの優勝時には、背番号20を付けていた。このアジアカップでは、背番号20を付けた玉田も出場している。おそらく、アジアカップの優勝チームのFWだからこそ、バンコクのスポーツショップ街で、背番号20の玉田のレプリカユニフォームが作られたのだろう。
彼は、背番号20と、北朝鮮対日本戦の0-2とを、掛けて、声を掛けてきたということなのだが、彼とのサッカー談義も盛り上がったことで、その店で、食事をすることにした。
外国人目当てということか、メインは、新鮮な魚介類をウリにしているものの。タイのいろんな地方の料理も食べられるようになっている。ラオスに近い、タイ東北部のイーサン料理と、海鮮料理を同時に食べられるのは、無茶苦茶ではあるが、これほど、贅沢なことはない。
さて、なぜ、プーケットで、タイのいろんな地域の料理が食べられるのかというのには観光目当て以外の理由が考えられる。
実は、プーケットの観光労働者の多くは、タイの地方から出稼ぎによって支えられているとのことだ。タイ人がプライドが高いということの現れでもあるが、プーケットの地元のタイ人は、今でこそ違うが、観光でメシを食うことをバカにしていたそうで、そのため、経営者は、他のタイの地域に、労働力を求めたという。
そんなことで、結果として、タイの全国の料理を作る能力が、プーケットに結集したということが考えられる。
地方から集まってきている証として、北部の少数民族も、プーケットが市場になるという事を知っていて、土産物売りの売り子が、北部の民族衣装を着て、いろんな民芸品を売りに来ていることでわかる。
タイと一言で言っても、日本より国土は広いし、いろんな地方があって、それぞれが、いろんな文化を持っている。しかし、観光客など、外国人は、それぞれの地方の文化も一緒にして、捉えてしまう事が多い。だからこそ、タイの地方の文化をモザイク状に組み合わせて、タイという国のイメージとして捉えがちとなる。
そのような無茶苦茶なタイのイメージから発生するニーズに対応できる能力を、地方出身者に支えられた、プーケットという観光地が持っているというのが、とても面白い。
さて、晩ご飯を食べて、再び、バー街に行ってみる。
夕方のバー街とは違い、人がいっぱいで、活気がある。
お客さんの中心は、白人である。国籍は、イギリス、北欧、ドイツ、オーストラリアが多いそうだ。そのなかに、少しながら、韓国人と中国人客が混じっているという感じだ。
津波の前のプーケットの観光客の中で、日本人観光客が5番目に多かったということなのだが、日本人観光客には、一人も出会わない。
日本人の話す、日本語が聞こえたと思って、声を掛けると、プーケットで働いている人たちだったりするのだ。
プーケットには、現地の日本人会に入会するなどして、把握しているだけで、260名の日本人が住んでいるという。彼らは、日本人観光客だけで、食っているわけではないが、日本から来る観光客で食っている割合が大きい。
それにも関わらず、雨期というシーズンオフとはいえ、日本人観光客が全くと言って、いないというのは、現地に住んでいる、日本人に大きな経済的なダメージを与えているに違いない。
プーケットで働いている日本人には、タイ人と結婚し、子供を授かっている人も多いという。自分の身ひとりなら、プーケットで食えないなら、日本に戻るなど、他の地域で食えばいいのかもしれないけれど。
家族で、地域と密着して生活をしている状態と、制度上、タイ人の配偶者を日本につれて来にくい状況や、プーケットに出てきているタイ人も、経済的に故郷に帰るもわけにも行かないなど、様々な状況があり。ここで、暮らしていかないといけない条件が揃っている。
それにもかかわらず、観光地として、全く問題がないにもかかわらず、プーケットだけでなく、津波と関係ない、多くのアジアのビーチから、日本人観光客が消え、海外で暮らしている多くの日本人の生活をむしばんでいる。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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