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判断が出来ること [2005年10月11日(Tue)]

判断が出来ること [2005年10月11日(Tue)]

「モーニング娘。“熱っちい地球を冷ますんだっ。”文化祭2005 in 横浜」 の最終日。小池百合子環境大臣が、パシフィコ横浜に現れた。
会場を視察したあと、私たちが朗読劇の楽屋がわりに使っていた会場の片隅で、記者会見を始めた。
私とピアニストさんが、片づけをしていた横で、記者会見が始まったので。突然の大名行列の襲来に、ピアニストさんが、少し動揺していた。
今日は、ミニステージで、環境問題を啓蒙する演奏をしていたのだが、伝えられる人の数が目の前の人のだけで、テレビや新聞を通じて伝える人数に比べてたかが知れている。
それに対し、環境大臣の一人の言葉で多くの人が動く。それを、この現場を見て、自らの活動の弱さを感じてしまったというのだ。
しかし、よく考えると、一人の言葉で、多くの人に影響を与えるのはいいが。この一言を発する人が、他の人の1万人分の判断能力を持ち、言葉を選んで発したとしても。日本の人口の1万分の一の判断能力で、その1万倍以上の人の判断をするのは困難なことである。
それより、一人一人が判断能力をもって、環境に対して取り組んだ方が、大臣の言葉で動くより、大きなパワーになる。
一時的には、旗振り役の力を必要とするが。実際には、多くの人が、自分たちでそれぞれ判断し取り組むことが出来るのが、一番パワーがある。
朗読劇は、即興演奏で、会場の雰囲気などに左右されながら、演奏内容が変わってくる。朗読する方も、その演奏を聞きながら、話す口調が変わってくる。それは、それぞれの構成員が、それぞれ、状況を判断しているからこそ、できるのであって。決して、決められたことをするためでは出来ないことなのだ。その中には、判断をするというアクションがある。
こういう、小さな判断ができることによって。いろんな事が動きやすくなるのでは・・・
なんて、記者会見の会場の横で感じました。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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