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ミンダナオ島の悲劇 [2005年10月15日(Sat)]

ミンダナオ島の悲劇 [2005年10月15日(Sat)]

プーケットに今起きている事を、本にしようと、都内のある出版社を訪ねた。
この出版社は、近々タイのパンガー湾のマングローブの植林プロジェクトの本を出す予定ということもあり。どこか共通点があるのではないかと思い、この出版社に声を掛けた。
まず、この企画について、そして、やりたいこと、そして、現状についての説明をざっくばらんにした。
いまの自分の活動の話しをしていた時、こんど10/28に、北とぴあで行う「天の浮舟」の話しをした。そのとき、出版社の取締役の方が、そのチラシを見て、かつて、ミンダナオ島での体験を話し出した。
ミンダナオ島では、バナナの生産がなされているが、そのバナナは、その地域の人が食べることが出来ず、総て輸出されるのだ。お腹が空いた子供は、収穫されたバナナのうち、出荷出来ないものを食べようと、敷地内に潜り込むそうなのだが。ガードマンに見つかると、銃で撃たれて、殺されてしまうのだそうだ。さすがに、最近は、批判が多くなり、死なない程度の銃を使っているそうだが、子供達に銃口を向けている事には変わりがない。
そんなことを、現地で聞きつつも、彼は、友人達と、ミンダナオ島の開発現場をいろいろ調べていたら。どうも、ある地域に有毒物質が流れている可能性に気が付いたのだそうだ。そのプロジェクトは、日本のODAのお金や、世界的な途上国を支援する機関のお金を使っての事業だった。
彼らは、有毒物質の流れていると思える水を日本に持ち帰り、研究機関で調べたところ、恐ろしい量の有害物質が含まれていたという。
これは、いけないと思い、関係機関をかけずり回ったという。
そして、再び、ミンダナオ島に行ったとき、水の採取に関わった現地の人が数人殺害され。そのうち現地のNGO職員は、身体を6つに切り裂かれて、道路に捨てられていたそうで。彼との再会は、バラバラ死体となった写真だったそうだ。
この事件の後、開発を担当していた会社は、別の開発事業を受注し、この開発は中止された。
しかし、開発現場に残された有毒物質の除去を行われたのかは不明だという。
そんな、お話しをしたあと、プレゼンをしに来た私たちを見て「なにか懐かしい気がする」と言った。
現場の責任者が、出席していなかったため、即決とはいかなかったが。出版を検討してくれるという。
有り難い話しだ。
この取締役さんの話しを聞いて、できれば、この出版社で本が出せたらいいのにと思った。

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[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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