集中化によるひずみ [2005年11月09日(Wed)]

児童就労に関する話を聞いた。
養殖場で育ったニワトリを絞める作業を、どうも、児童就労で行われている事があるそうだ。タイやラオスなんかだけではないけど、家の庭でニワトリを飼っている姿がある。これらのニワトリは、時々、絞めて食べるわけだが。
それとは、まったく規模が違って、子供が一人当たり、一日に250羽から300羽のニワトリを絞めるとのことで、そこで、何ヶ月も働いているうちに、精神的におかしくなってくるのだそうだ。
普段、店に並んでいる、鶏肉も、おそらく、大量処理されているわけで。あの値段を考えると、一人で、一日何百羽も絞めないといけない状況が予想されるのだけど、今回の話を聞いて、気がついたという感じだ。
本来なら、おめでたいと事があったとき、一日何羽かを絞めることがあるかもしれないが。おめでたいことがなんにもないのに、一日何百羽も絞めないといけないという、ことを、毎日過ごしていると、気が変になってもおかしくない。
しかも、現金がほしい人がたくさんいるということで、競争率が高く、そのため、低賃金でも雇われる人が優先されるそうで。異様な低賃金なんだそうだ。
いろんな、作業を集約すること、集中することによる、効率化というものがあるのだが。負担も集中するということなのだろうか。
遠隔医療プロジェクトをしている人が、遠隔医療を実施すると、特定の技能をもった医師に仕事が集中してしまい、過労になってしまうという問題が発生したというし。
集中することは、メリットもあるが、リスクも集中してゆくということなのだろう。
コーデック技術の発展で、遠隔監視も可能になっており、ネットワーク化も進み、ますます、集中化が進んでいる。
本来、インターネットは、軍事用コンピュータネットワークとして、分散型サーバーをネットワーク化することで、複数経路で情報が流れる仕組みを持つことで、いざというときに、どこかが壊されても、機能するしくみとして作られたのだが。インターネットの民間利用から急速に発達したIT化は。インターネットのもともとの発想とは逆に、さまざまな集中化を招くことになった。
アジアの国も、生産拠点としての集中化のまっただなかにいる。
その集中化によるひずみを、そのまま、受け続ける必要があるのだろうか。分散する方法はあるのだろうか。

そういや、滋賀県の甲良町のまちづくりの担当者が、まちづくりの課題のひとつが「責任の分散」といっていたのを思い出しました。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]