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伝えた者の心の傷 [2006年12月21日(Thu)]

伝えた者の心の傷 [2006年12月21日(Thu)]

12月25日26日に行う津波2周年イベントのフライヤーをお店などに置いてもらいに歩いている。これは、既に津波の復興住宅で作られた民芸品を置いてもらっているお店も同様に置いてもらっている。
そうやって回ることで、お客さんの声を聞くことも出来る。
たとえば、2年前に津波の報道をしたカメラマンが、津波復興の民芸品を買ってくれている。
このカメラマンは、プーケットをはじめとする、タイ南部の取材をしたそうです。しかし、様々な要因で、十分な報道ができず、タイ南部の津波の報道は結果として風評被害として日本人観光客が戻ってこないという現象を引き起こしたり。差別を生み出したりした。
私の撮ったドキュメンタリー映画「STILL ALIVE」には、報道への強い不信感とともに、メディアへの期待が入り交じる心境を語る方のインタビューを収録した。その感情は、時には攻撃的にも感じられるほど激しいものだった。
また、取材の過程で、取材の協力をお願いするときに良く聞かれることは、被災地をどう捉えたものしたいのか、それは、酷いとか可哀想なものを撮るのか、何処まで復興したとか前向きに生きているとかという内容なのか、どちらかという質問である。そして、質問の後に、くぎを刺すようにキツイ目で「どちらの方にするかによって、案内する内容が変わります」と言われた事もありました。
また、自らも津波に遭い、その中を泳ぎ、建物や流木などにぶつかり身体中にケガを負いながらも、お金もあるだろうけど、報道という公共性のために、翌日から報道の手伝いをしていた方もいました。
これらの方の多くは、ビジネスなり商売をしていたので、報道をしていた方の雇われ人としての立場にやメディアの力については一定の理解をしていたものの、同時に津波報道の結果を見てメディアに対する不信感を隠せない方が多かった。
現地取材の作品で、現地の伝えたいという気持ちが制作の後押しになったということで、ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE」では、現地の声や努力の様子が中心に描かれているが。民芸品の販売を通じて、復興を伝えることが出来なくて心の傷になっている津波報道をした人たちが存在する事が伝わってきたのだ。
しかしながら、組織の中での仕事は残酷で、必ずしも豊かではないかも知れないが、そこそこ自分の好きな仕事をしながらの生活の安定と引き替えに、彼らの心の傷を癒せる仕事にありつける確率は低いと思われる。
ここんところ、医療事故を減らす取組についての仕事もしているのだが、事故や災害の当事者は、一次的、二次的、三次的な当事者も含めて、様々な立場の多くの当事者の心を傷などの被害をうける。だから、報道をしたことによって引き起こされた被害に置いては、報道をした人にも被害が及ぶこともある。立場が違う者どうし、ともに、別の形で被害を受けるわけで、その者同士の信頼関係が失われ、対立的な構図になったとき、それぞれ違う被害に対しそれぞれの正当性を主張して傷つけ合いながら戦うことになる場合がある。そのことにより、誰も得をしない事なのに、さらに誰も得をしない状況に陥ってしまう。
この民芸品を買ってくれた報道関係の方の話を聞いて、ここまで、ひどい状況にはなっていないにしろ、それぞれの当事者の間には、相手に心が通じないことでの心の傷が発生しているように感じた。
民芸品を買ってくれた報道関係の方は、民芸品を買うことで少しでも心を癒せたのだろうか・・・。
商売とは、他人にモノやサービスを売り、かわりにその対価としての現金を受け取るものだが。同時に様々な情報も交換をする。
ドキュメンタリーを制作しインタビューを収録しながら、映像などいわゆるメディアを通して相手に伝えることでは不十分ではないのかという疑問が湧いてきた事も、民芸品の取り扱いを始めた一つの要因でもある。
そして、現に民芸品を販売することで、様々な人の想いが伝わってきている。
一度、どこかで切り取って作品にしたものの、次ぎに繋げたいという気持ちを新たにしてくれる。本当に有り難いことです。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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