旅が始まるということ [2007年04月10日(Tue)]

タイパンガー県のさをり織りのトレーニングセンターに一人の日本人の若者が居る。彼は、旅をしている最中にこのトレーニングセンターと出会ったという。
彼はここ数ヶ月ここでさをり織りのトレーニングセンターの手伝いをしながら暮らしているのだが。さをり織りを作る姿を見るうちに自らも物を作ることに目覚めだし。水道管を使ったディジュリドゥの制作をしている。材料費はたいしたことはないのだが、エナメルで塗装しているために一つ作るのに十時間程度かかる。
このディジュリドゥをプーケットやクラビなどで演奏をしながら道売りをする。最初のうちはできが良くないために全くというほど売れなかったという。しかし、タイ人は彼の演奏を気に入ってかどうかわからないがお金を落としていく。おそらくタイ人のドネーションの習慣であろう。そして、作り続けて質のいいものになってくると、今度は工芸品としての価値が出てくるようで、かなりの高額で買ってくれるようになったという。
質が良くなったには理由があるようで、作品に自信がなかったり、お金の不安があったり、これだけ稼がないといけないという意識で作ったりすると、エナメルがきれいに塗れないという。だがお金のことを考えずに、集中して作ると、おのずと品質が良くなり。結果として高額に売れるという。
いろんな心配が少なくなり、作業に集中すると、平気で一日中というか、朝三時までも作り続けることが出来るという。

彼がここまでくるのに、かなりの時間と出会いがあったようだ。
彼が出会った旅人には、帰国したとたんに亡くなった方(どうも処刑されたらしい)も何人かいて、旅の厳しさを感じたこともあったそうだ。そこで旅人であるということは命がけであるということを知ったという。
これらのことは、日本から持ってきたお金が無くなってきてから気づきだしたという。彼は他の人が言うようにラオスの食事がおいしいと感じなかったのだそうだ。それは、どうも彼が日本から最初に入った国で、お金を使って観光地のレストランをまわったことが原因のようだった。おそらく、外国人向けのレストランは、これだけ稼がないといけないという意識があって、そのため心になにかがあって、それがおいしくない料理となったのであろう。そういう料理と出会ってしまったために、彼の意識の中ではラオスの料理がおいしくないと記憶されることとなった。
そして、お金が無くなり、出会った旅人が亡くなったとの知らせがあり、お寺の世話になり、そして、津波被災地のキャンプに入り、さをりトレーニングセンターの手伝いを始め、さをり織りを作る姿に触発されデジュリドゥを作るようになり、ここで、初めて旅が始まったと感じているという。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]