地理的条件の前提を考える [2007年07月01日(Sun)]

立地条件には、いろんな条件がある。
鉱工業に関する立地を考えると。
・原料や材料の採れる所への立地。
・市場又は消費地の近隣での立地。
・港や駅、空港、高速道路など交通の便がいいところへの立地。
・土地代や人件費が安いところでの立地。
なんかがある。
これが、みんな
・土地代や人件費が安いところでの立地。
に集約して言ってる感じがするんですよね。
・原料や材料の採れる所への立地。も
・港や駅、空港、高速道路など交通の便がいいところへの立地。も
交通や流通の発達により移動し最後には
・土地代や人件費が安いところでの立地。に移動していっているんです。

たとえば、最近伺った夕張の大夕張という場所では、1960年代まで鉄道以外の交通手段が無いという、交通や流通が悪い状態だった。
だからこそ、石炭が採れるということで、多くの労働者を集めるという必要があった。
当時は、人件費が安いところというのは別の所にあったため、そこから労働者が移住した。
囚人や捕虜などを使っていたと言われるのも、危険な作業だと言うこともあるのですが、人件費が安いということが最大の理由だったのではないかと思われます。
また、飢饉があった地域の人や、土地のまずして地域の人、戦災で焼き出された人なども、生活が困窮しているということで、安くても働いてくれるということで安く働かす事が可能だったため移住には向いていたと考えられる。
つまり、当時は交通や流通が発達していなかったため、ものを運ぶより、人を連れて行った方が安かったようです。

それが、交通や流通の発達により移動が楽になったことにより、いわゆる貧しい地域に鉱工業が移動した。最初は地方の工業団地などに移転したが、すぐに海外に行ってしまった。
石油の値段が上がったおかげで、また石炭が注目を浴びてきているようで。中国での石炭採掘は活況なのだそうだ。その一方で、年間5000人の人が事故で死んでいる。
中国はあわてて、保安設備が持てないような小さな炭鉱は閉鎖するように指導したが、今度はヤミで採掘する人が現れだしたというから恐ろしい。これから中国の炭鉱で亡くなった人が減ったとしても、ヤミに消えた人の増加によって、実質事故による死亡者が増えてしまう可能性も出てきたというわけです。
これは、中国という国がわるいわけでも、中国人という民族の性質でもなく。人間って規制をすけば、するほど、規制を守らない人が増え。場合によって、規制をすることで、無法地帯になってしまう。そんな性質を人種や民族関係なく多かれ少なかれ持っているからです。

そんなことで、中国で原料を手に入れ、中国で製品にして、日本に持っていくということになっていたわけですが。今は、その中国が最大の消費地になってるんですよね。
だから、極端な話、日本が世界有数の消費地という時代は近々終わってしまうかもしれません。そうなると日本には何が残るのでしょうね。
日本が消費地でも、生産地でも、流通の拠点でもなくなった時、いま少子化とか言って対策しているけど、そんなことせずに、全てのものが少なくなったなりに豊かな生き方ってのが必要になってくるように思うんですよね。

もう、そうなる予兆もあるようで。たとえば日本の自動車メーカーの日本国内の工場に多くの南米の方が働きに来ていることです。
かつての、人を連れてきた方が安いから連れてきたというのとは、少し意味が違ってきているようなんですよね。
日本国内の多くの人は、高額な商品が買えなくなったけど、日本製というブランドが欲しいわけです。そのため、日本人で日本人を雇うわけにはいかなくなったわけです。
または、日本人を雇うのであれば、日雇いの請負の派遣労働者を使うのだけど。仕事を受けるのに必要な携帯電話以外の製品を購入する能力はない人が多い。
日本は消費地での立地が難しくなってきたということです。
まあ、一時言われていた、デフレスパイラルというやつですが。二極化の中で、伸びているのと相殺するからわかりやすい数字としては出てきていませんが、確実に進行しているように思います。
だから、もう鉱工業としての立地条件を満たしていないことを隠すために、外国人労働者を入れているように思われてならないのだ。

復活に向かうには、現状を受け入れ、出来ることをしていき、小さな成果を挙げる必要があるのだが。
今の日本の状況は、現状を見えないようにして、現状を受け入れられない状況を作り。しかも、一発大きなものを充てようと賭けてるという感じがしてならないんですよね。
そして、多くの人は、何も見えないまま、センセーショナルな出来事に、一喜一憂している。
これでは、手遅れになってしまう可能性があります。
手遅れになった場合の回復は困難である。

いまの政府は、明治以降の方針のママきているとか、戦後からの延長上だとかいろんな説がありますが。世の中、国が300年持つという事はとても希で、だいたい、70-150年ほどでダメになるので。必ずそうなるわけではありませんが、周期的にはそろそろヤバイ時期なわけです。

復活に向かうには、現状を受け入れ、出来ることをしていき、小さな成果を挙げる必要があると考えれば。
日本は既に鉱工業の立地条件ではないという認識を持つこととが重要で。
その認識の元に、立地条件の変遷の根底にある「いかに安く済ますか」という概念を、別の軸に変える必要があるように思います。
しかも、これを、出来ることから行う必要がある。

「いかに安く済ますか」という概念を別の軸に替えるということは、単純に付加価値をつけるという概念ではないようです。
いくら付加価値をつけても、結局は低価格化していくんです。
パソコンや情報家電などは顕著で、機能が増え、速度も速く、デザインも改良されるなど、付加価値がついても、昨年より30%とか安くなるって事が発生しています。

そうそう。いまは、新自由主義だとかが流行っていて、まあ、とにかく稼いだ方が勝ち的な世の中ですが。実際は、自由主義でもなんでもないんです。
低価格化が進む裏には、いかに参入障壁を作り、自分たちに有利にするかという論理が働いています。
低価格化するには、スケールメリットを出さないといけないから、そのための資本が必要なわけです。
そして、知的所有権や、遵法経営だ、敵対的買収対策だ、いやM&Aだ、ISO取得だ、広報対策だ、IT化だ、地球温暖化に対する環境対策だ、企業の社会的責任だといって、これらは全て、手間やコストが掛かる事をすることで、新規参入を拒むシステムを作り利益を守っているわけです。企業も必死です。
おかげで、弁護士事務所が企業相手のために大きくなるわという減少となっている。
最近、企業の不祥事が多いのは、このあたりに問題があるのではと思っています。
さきほど、「人間って規制をすけば、するほど、規制を守らない人が増え。場合によって、規制をすることで、無法地帯になってしまう。そんな性質を人種や民族関係なく多かれ少なかれ持っているからです。」と書きましたが、いま正にそれが起こっているのではないかと思うんです。

日本の石炭産業がダメになった理由は、保安機器や事故にあった労働者の補償にコストが掛かったという事が多いというのが一因なのですが。
いまの医療崩壊も、設備投資の過剰や医療事故の補償の増加や責任追及による経営リスクの増大が原因の一つで。1980年代に、石炭産業がダメになったのと同じ道を、15年から20年遅れて歩んで行っているんです。
そして、今度は、様々な企業でも責任追及による企業経営の崩壊が起こる可能性があります。

そうなった場合、どのようにして再構築するかという事を考えると。
信頼回復という、明快で便利だけどどこかいまひとつ曖昧な四字熟語にいきついてしまう。

まあ、ありきたりな結論だが、新しい立地条件の根底の概念は「信頼関係」なのではという気がしてきているんです。
どこでも移動出来る状態となったばあい、地理的条件は、信頼関係のある関係が持てる人との仕事や生活が出来るかということになっていくのかもしれない。

その一方で、待ったなしの、世界の都市人口の増加が発生しているわけですが。
もしかすると、大地との信頼関係の回復が、都市への流動を押さえるのではないかという気がしてます。

エコビレッジとか、そういう流れって、人と人との関係、人と大地との関係の信頼関係を回復しようという流れから出てきているように思えます。

そう考えると、新しい立地条件はどうなるのでしょうかねぇ。

それとも、まったく違う概念が生まれるのか・・・

[CANPAN blog STILL ALIVE より]