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個人の土地に一戸建ての復興住宅を建てられないか [2007年07月02日(Mon)]

個人の土地に一戸建ての復興住宅を建てられないか [2007年07月02日(Mon)]

神戸大の塩崎賢明教授は「個人の土地に一戸建ての復興住宅を建てられないか」という意見に激しく同意します。
復興住宅建設によるコミュニティ破壊も問題なのですが、それより、情緒の問題って大きいんですよ。
私の友人でもあるジャーナリスト志葉令氏が津波から1年後にスマトラ島のアチェに行ったとき、避難所や復興住宅を抜け出して、いまだ瓦礫の山になっていて、まだ誰が埋まっているかわからない、元住み処のあった場所に戻り、テント暮らしを始める方がいたそうです。
また、タイの津波被災者のシンガーソングライターは、復興住宅に住みながら被災したコ・コ・カオの家に帰りたいと歌っています。
個人の土地に一戸建ての復興住宅が建つことは、この情緒に沿ったものだと思うんですよね。

それと、「能登はまちづくりのビジョンを示す専門家が足りない。地元や関西の大学などがもっと積極的にかかわるべきだ」という意見には、違和感を感じます。
私は「まちづくりのビジョンを示す専門家」はいらないと思うんですよ。
必要なのは、「まちづくりのビジョンづくりをサポートする専門家」なんだと思うんですよね。
そうしないと、被災地が専門家のまちづくりの実験場やモデルルームになりかねないんです。
そうなると、住民のためのまちにならない気がするんですよね。

あと、防災無線や電話回線もダメというのは、しごく当然ありうる話です。
都市部では、復興作業中も携帯電話がキャパシティオーバーになる可能性もあります。

わたしは、電話などの通信手段に頼らないコミュニケーションに慣れておくことが大切かと思います。
通信手段がなくても、情報を交換する能力があれば、イレギュラーな事への対応も可能です。タイ・カオラック郊外では、幼稚園が自然発生的な避難所になるという事が発生。政府などに登録されていない避難所なので物資が届かないという事態が発生したのですが。
道行く人なり、バイクですれ違う時にちょこっと話すなど、様々なコミュニケーションが行われ、翌日から食料や救援物資が届くようになったそうです。
いざという時に動ける体力と精神的余裕とコミュニケーション能力があったから出来た事だと思われます。
過労死やワーキンブプアーなど働きすぎや過大な責任などで自殺者が多いとか、いまの日本は体力も精神もすり減っている状態の人が多いわけですが。そういう状態の人がたくさんいた状態で、大きな災害が起きたとき、自分たちの力で問題解決を出来るかどうかはとても疑問です。
通信手段に囚わず、自由な発想と行動力を発揮出来る状態を維持することが最大の災害対策だと思います。

【石川】中日新聞
住宅再建へ神戸で教訓  能登半島地震 復興シンポ
2007年7月1日

地域再生などの課題が示された能登半島地震からの復興を考えるシンポジウム=いずれも神戸市内で
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20070701/CK2007070102028761.html
土地と人のつながり重視を
地域再生 寺社支援も
能登半島地震からの復興を考えるシンポジウムが三十日、神戸市内であり、住宅再建や地域の再生など多くの課題が示された。能登の被災地を調査した関西学院大災害復興制度研究所など、神戸の七団体が阪神大震災と比較しながら課題を探る狙いで開催。主催者は「今後、提言としてまとめたい」としている。 (報道部・高橋雅人)

約八十人が出席したシンポのテーマとなったのは住宅再建。神戸大の塩崎賢明教授は「個人の土地に一戸建ての復興住宅を建てられないか」と提言。総務省消防庁消防研究センターの室崎益輝所長も「阪神大震災の際には人と人とのつながりが強調されたが、中山間地では土地と人とのつながりも重視しなければならない」と一定の理解を示した。

生活再建支援制度について室崎所長は「制度改正の検討会で財政的な負担を理由に後ろ向きな意見もある」と報告した上で「ホームページで国民の意見を問うので、多くの声を聞かせてほしい」と呼びかけた。

地域の再生も議論に。神戸大の重村力教授は、区画整理など元の町並みを一変させる大工事が進む福岡県玄界島と、景観を守るため小規模な和風の復興住宅を建てた新潟県旧山古志村の状況を紹介。「能登でも町並みを崩さない復興を期待したい」と述べた。

室崎所長は、関東から多くのプランナーが入った新潟県中越地震の被災地を引き合いに「能登はまちづくりのビジョンを示す専門家が足りない。地元や関西の大学などがもっと積極的にかかわるべきだ」と訴えたほか、「専門家間のネットワークも必要」との意見も出た。

地域再生の担い手として、寺社の役割も強調された。輪島市や穴水町、志賀町では地震で約六百の寺社が被災したが、宗教施設のため、再建に公的な支援が投じにくい。複数の報告者が「能登では、寺が地域の中心になっている。宗教が地域で果たす役割を考えれば、寺社再建を支援することも必要」と指摘した。

これについて輪島市の谷口寛総務部長は「直接、公的な金を出すことは難しいが、市に寄せられた義援金や宝くじの収益金での支援を検討している」と説明した。

輪島市の復興への取り組みについて説明する谷口寛総務部長

輪島市総務部長が特別報告
直後の混乱語る
電話回線2、3本 防災無線もダメ
民生委員が高齢者把握 迅速な安否確認
「発生当日、市役所は作業停電中で、非常電源に切り替えができなかった。津波への注意を呼びかける防災無線が放送できず、立ち上げた災害対策本部も電話回線は二、三本だった」

特別報告者として登壇した輪島市の谷口寛総務部長は、地震直後の混乱ぶりを被災状況のスライドを示しながら明らかにした。

谷口部長は民生委員が中心となり、高齢者や要支援者のいる家庭を把握していたため、早い段階での安否確認につながったことも紹介した。

生活再建支援制度については「使い道を限定せずに、利用しやすい制度にしてほしい」と要望。「昭和三十年代に財政再建団体になった経験を持つ輪島市は財政的に厳しい。さらに国の支援が必要」と訴えた。最後に「地震の教訓を早い段階でまとめるとともに、観光も産業も地震前の一・二倍ほどまで逆に発展させられるように努力したい」と決意を述べた。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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