×

ネットカフェは茶室? [2007年07月24日(Tue)]

ネットカフェは茶室? [2007年07月24日(Tue)]

あるお茶の先生がネットカフェは現代の茶室の可能性があると言っていました。

まず、カフェはスバリお茶を飲み覚醒するところである。

次ぎに、虚無の中で場を共有する場である。インターネットという虚無の世界の中で、世の中のことを何かに見立てて語り合う。地球温暖化が進む前の日本は四季が明確であったため、四季折々のことについて語り合ったわけですが、いまは季節感が無くなったからこそ、時事ネタで語り合う。しかも、コストダウンのためということで、ネットカフェは質素でもある。

旅人を収容する場所である。
お茶は仏教から始まったわけですが、仏教を始めた仏陀は、森から森へと旅をして暮らしていた。タイのお寺では、歩く瞑想が行われているが、本来は、朝、托鉢に出て、そのまま歩いていき、他のお寺など次の宿に泊まる。そこに、一期一会というものが発生するし、タイで出家すれば朝一回だけの食事になるので一宿一飯の恩義なんてのも発生する。
そういうところから、進化し、茶室が生まれたとすると。派遣労働で働くワンコールワーカーたちは、ネットカフェを放浪することで旅人となる。

茶道というのは、千利休の頃は、出家した者が行っていたとのことで、江戸時代に儒教の影響で、家制度が導入されることで、大きくスタイルが変わったという。
家制度は、体制を守るシステムとしてよく出来ている。
茶道の原型は、家を出た「道」であるという。
そう考えると、ワンコールワーカーであり、ネットカフェ難民は、出家した者とも言え。いわゆる家制度の茶道より、千利休の頃の茶道に近いものがあるかもしれないというのだ。

出家している身は、とても危うい。
その他、出家している人たちというのは、ホームレス、閉鎖された施設に預けられている人などがある。そういう人は、お金も含め、所有しているものが少ない傾向がある。
そして、その究極は、仏陀のような無の世界となる。

残念ながら、戸籍制度のある明治以降の日本など家を重視する社会システムは、移動をする人たち、家から出てしまった人たちを、排除する力が働く傾向がある。

いま、正社員を増やそうという動きになっているが、これはワンコールワーカーを家に戻す仕組みづくりであり。自立支援ということで、家に戻す形の「更正」という名の排除法と。
隔離や場合によっては命を奪うなどの排除法がある。
これを、法律に基づくことでコンセンサスを得たことにして合法的に行うのが、法治国家であり、コンプライアンス経営の流行る今流です。
ちょいと昔ならば、トップが気に食う、気にくわないで、排除するしない、どのように排除するかが決まる。

そんなことで、千利休は切腹を銘ぜられるわけですが。
これは、本来紀行文を書く旅人だった「ジャーナリスト」が取材中に身柄を拘束されたり、殺されたりすることと似ている。

先頃のイラク戦争の取材において、日本の大手メディアの社員がイラクに入らなかったり。教育改革といいつつも、規範や道徳教育の強化が行われようとしていますが、その根底に、儒教的な発想による家の維持が強化されている傾向が見える。
企業という新しい家制度の強化という見方も出来る。(労働組合も家制度の機能をもっていたかも)
この企業などが持っていた家制度の機能も、ここ最近だいぶん解体された。

戦後の日本で、いまになって格差が拡大したのは、新自由主義以外にも、戦争に負けた日本を弱体化するために、家制度を破壊しようとした事に一因があるように思う。
たとえば、家制度を崩すために、相続税が強化されたりした。そういう流れの中で、家族が解体され、核家族化、そして、個別化していった。
しかし、世の中、バランスを取ろうとするもので。家が解体する一方で、家の解体から身を守るために、家を守る力をつけたグループがいて、世襲などが行われた。

教育再生とか言って、道徳教育を強化しようとしている方がいるが、そうやって、家を守った実績があるからこそ、そう言っている面があるように思います。
しかし、現実は、家制度が崩壊してしまっている人が大多数なため、家制度が残っている状態での教育システムが通用しない可能性が高い。
質が悪いのは、所有するという仕組みをもったまま、コミュニティや家制度がなくなるという、日本の歴史上初めての状態になっているということで。そのため、かつての知恵が使えない状態になっている。

かつての知恵が使えないからこそ、余計に家制度によって培われた伝統的手法に囚われ、さらに強化するように訴えているというのが、昨今の教育再生の発想の根本のように思える。ただ、この解決法では、問題が解決する可能性が低い。

この問題を解決出来るアイデアは、もしかすると、ネットカフェ難民だったり、ホームレスであったり、そういう、家を出て旅をしている、しがらみのない人たちの中から、現れる可能性があります。つまり、お坊さんの知恵みたいなものです。
また、どこかに隔離されたり捕らわれている、家から出ている人を、解き放つことで、しがらみのない人が増え、新しいアイデアが生まれやすくなるかもしれません。

ただし、ネットカフェ難民など旅する人の多くには、様々なしがらみがあるので、そういう境地になる方は少ないかも知れないですが、創造的な知恵を生み出す人が現れる素地があるように思います。
そう考えると、ネットカフェという茶室には、まだ千利休が現れていないのかも知れません。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

Share this content: