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柏崎原発の原因究明が進まない理由 [2007年07月26日(Thu)]

柏崎原発の原因究明が進まない理由 [2007年07月26日(Thu)]

中越沖地震により、柏崎原発の被災状況、放射漏れ状況の現状が掴めていない問題ですが。
集団災害の大きな問題の一つがある。
それは、保守管理要員も被災者であり、安全対策や原因究明が困難になっているということだ。
地震発生当初は、変電施設から発生した火災について、手をつけられなくて4.5人の人が呆然と立っている映像が報道され、世界中から「日本の原発はどうなっているのか」と思われたわけですが。
集団災害においては、施設の維持や保安を担当する人も、被災者となってしまい、大幅に戦力ダウンしてしまうということが発生する。そいういうことへの想定がなされていなかったようなんです。
確かに、消防団の組織化や装備や設備の問題もあったかもしれないが、人材が被災者になるということは、危機管理マニュアルから抜け落ちがちな出来事である。
この状況は今でも続いているようで。
読売新聞「柏崎原発、放射能漏出の恐れ13件も…5件は詳細不明」(2007年7月25日15時17分 読売新聞)の中の東電広報のコメントで。同原発には約1200人の社員が常駐しているが、地震で自宅が被災した社員も少なくなく、「現在は600~700人程度しか出勤できない状態」と書かれていた。
現代の日本の生活は、様々なインフラが整備され、便利な機械があるため、生活に掛ける労力や時間が少なくなっている。しかし、いざ災害などに見舞われ、インフラが使えなくなると、一気に生活に掛ける労力や時間がかかってしまう。仕事どころではない人がたくさん出てしまう。
(逆に、被災した家より、仕事を優先するケースというのもあるが、家族のことを心配しながら、災害で大きなストレスに遭っている状態で働くのは、大きなストレスとなる。)
最も細心の安全管理が必要な施設である原子力関連施設だけに、災害時に人材が使えないというのは痛手が大きい。
そう考えると、大規模災害の起きる可能性のある場所に、安全確保のためにかなりの人員が必要となる施設を作るのは非常に危険なことだという気がしてならない。
また、何か問題があったら、被災地ではない所から援軍を出せる仕組みというのが必要だと思う。
自動車部品のメーカーに、自動車メーカーから人が派遣され復旧作業を行ったわけですから、広報さんが被災しているからという言い訳などせず、そうすればいいと思うんですよね。
しかし、原子力関連施設の多くは、過疎の地域に造られている。それだけに、人材確保が難しい面もある。その貴重な人材を、他の施設に派遣させるのは難しいのかもしれないし。
たいがい、事故が起きれば、「総点検」というのが、何やらの一つ覚えのように指示されるわけですが、そこに人材が取られて、救援に行けない事情もあるのかもしれない。

(余談ですが、現場を無視した精神論的な指示で、国民を安心させようという方法って、ほんと困りますよね。昨日も、8人の方に、年金第三者機関により年金の差額が支払われるように判断したそうですが。年に250日稼働するとして、一年で2000人救済されると計算出来る。5000万人のうち、0.1パーセントが、年金第三者機関によって支払いが判断されるとしたら、該当者が5万人となります。その5万人の支払いを決めるのに、25年掛かるという計算になる。25年は極端にしろ、1年やそこらで問題解決することはできない。)

そう考えると、集団災害が起こった場合を想定して、普段から、倍ぐらいの人員を確保しておくか。特殊で安全管理にお金が掛かりすぎる危険な施設を造らない、運用しない。のどちらかを選択する必要があるかという感じがします。

ただでさえ、原子力発電所って無茶苦茶なコンクリートの量を必要としていて、莫大なお金が掛かるわけですが。今回火災を起こした変電施設を原子炉の部分と同じような地盤改良をしたとしたら、喜ぶのはゼネコンと採石業者とセメント会社だけで、その分の莫大なコストは、税金であれ、電気料金として、多くの人に跳ね返ってくる。
構造改革だとかで、支出を減らすという、小さな政府を目指すのであれば、そういう莫大な費用が発生する施設を造らない、推進しない、多くの人件費のかかる施設を運用しないという選択をする必要があるのではないかという気がします。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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