稲むらの火の館を訪ねる [2007年11月16日(Fri)]

和歌山県有田郡広川町にやってきました。
醤油の発祥の地で有名な湯浅町の隣町でもある小さな漁村なのですが。この町には津波にまつわる物語のある町なのです。

それが「稲むらの火」というお話です。
この「稲むらの火」は、ラフカディオハーンによって伝えられた話でもあるのですが。実話がベースになっているのです。
この町に住む醤油屋さんである、濱口梧陵さんという方が、夜に津波が襲ったときに、稲を乾燥させて束ねたものを積んだ「稲むら」に火をつけて、避難経路を示し、多くの人を助けたというお話です。
その濱口梧陵さんの住んでいた家を記念館とし、その敷地内に津波防災教育センターを建てたのが「稲むらの火の館」です。
今年の4月オープンのまだ新しい施設です。

今回は偶然和歌山県庁の団体さんと同じタイミングで入館したので、団体さんについていって館長さんにガイドしてもらいました。

中に入るとびっくりするのが、とにかく家が立派なことです。
銚子の醤油も濱口梧陵さんのところが作っているということで、お金持ちだったんでしょうね。

津波防災教育センターは3階建てで、最新の3D映像などもあります。
いろんな科学的データをもとに作ったものを見ました。
津波の悲惨さを伝える映像だったのですが、必要だとは思いますが、個人的に以前から思っていることですが、恐怖心をあおるだけでは、逆効果になってしまうのでは・・・という疑念を持ちました。
それは、残酷なものというのは、見てしまうのが人間の特性なのですが。それを使うことで、思考が停止してしまうとか、冷静に物事を考えられなくなるということがあるからです。
もう一本は、「稲むらの火」のお話なのですが、実際に広川町の方がエキストラとして登場しているそうです。おかげで、自分の映っている映像を見たさに何回も見に来る人もいるそうです。

それより、濱口梧陵さんの津波後の対応についてが伝えられていることに関心を持ちました。

古い家の建ち並ぶ町の通りには、津波について注意を喚起する看板がつけられている。
実はこの町、昭和21年の南海地震の時に被害に遭わなかったことで、古い街並みが残っているのです。

これは、濱口梧陵さんが津波後に、被災者に仕事を作るということと、次の津波に備えて「広川堤防」を作ったということです。

 

広川堤防

 

 

赤門

ツナミクラフトも、被災者が仕事をすることで、心のケアと経済的な問題を解決しようとしたのと似ています。

この堤防のおかげで、大正2年、昭和19年、昭和21年の3回の津波から広川町が守られました。

ただし、紡績工場の社宅など、土地代の安い工場用地、地元の事を知らない移住者は、この堤防により守られず、多くの犠牲者を出しています。
このあたり、タイのスマトラ島沖地震の津波被災地と共通している部分で。錫鉱山のある地域がタイで最も大きな被害に遭った地域だというところと似ています。 関連記事

被災者が仕事を得られないということは、移住者を生み出し、その地域のコミュニティーを破壊します。その移住者は、その土地の事を知らなかったり、様々な理由で災害に弱いところに住んでしまうというという事が起きうる。そして、また被災者になる。
つまり、悲劇から抜けられなくなる可能性をはらんでいる。
だからこそ、コミュニティ破壊が起こらないような、被災地の産業育成や、被災者の収入など被災者ためになる事業を行う必要がある。

津波からの復興と防災の両立というアイデアを江戸時代に実行した濱口梧陵さん素晴らしさはぜひ多くの人に知ってもらいたいものです。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]