コーカオ島は発展中 [2007年11月29日(Thu)]

コーカオ島についた。
コーカオ島は、南北に20キロ以上、幅も5.6キロの三角形をした島で、丘もあるが、ほとんどが砂州で出来た平坦な島である。

コーカオ島の存在は、ツナミクラフトセンターの店長をしていたプイさんの出身地で。ミュージシャンでもある彼が、コーコーカオ(コーカオ島)に帰りたいという歌詞の歌を作っていたので、いつか行って見たいと思っていただけに、感慨深いものがあった。

コーカオ島についてまず目に入ったのが、真新しい整備された道路だ。
とにかく路面がきれい。
町は、港の近くにちょこっとあり、しばらくは平野の中を道がまっぐ走っているだけだ。
島の奥の丘の近くには小さな村があり学校もあるが、そこまでは何キロも直線を走る。
両脇はゴム林、牧場、パーム畑などが続く。
この島は、タイ人にとって、新しく開拓すべき大地としてという感覚なのでしょうか。

こういう道にも津波復興のために多額のお金が投じられている。

次に目に付くのが、新しいリゾート施設。
ナムケンとコーカオ島の間に橋を作る計画があって、それを見込んでの建設という話も聞くが。やはり、あまりにも美しいビーチがあって、こういうリゾート施設も立地するのだろう。

ビーチはとても美しいけど、カニの撮影に成功したので、スナガニの仲間の写真を掲載します。

あとコーカオ島の特徴は、島の広い範囲でグンパイヒルガオを見かけるということだ。
低湿地の部分も多いのだが、砂浜に近い植生が広いことをあらわしている。
ここに、10メートルを越えたといわれる津波が襲ったわけで、島のかなりの部分に津波の被害が出たことが容易に予想できる。
とにかく島が広いので、高いところに逃げるのに何キロも逃げなければならない。
避難所まで4.6キロとか徒歩なら1時間はかかってしまうような看板をいくつもみただけに、早い段階での津波警報の必要性のある地域だといえる。

それと、花の名前はわからないが、プイさんがバティックに描いていた花がいっぱい咲いていました。

プイさんは、津波の前はこの島でレストランを経営していたのですが、津波にあった後は、本土のプルッティアオの避難所に住んでいたのですが、お母さんが津波が怖いということで結局島に戻れず。レストランの従業員とともにバティックの技術を覚えて、バティックの製作を行っていました。
もともとセンスがあったのでしょう。すばらしい作品がたくさん出来たのですが。売り上げは芳しくなく。今年の頭、バティック製作を休業し、ツナミクラフトセンターの店長でもあったのですが現場の仕事を妹に任せて、パンガー県南部に出稼ぎに行ってしまいました。
そして、9月にツナミクラフトセンターは店を閉じた。

今回、忙しかったので、プイさんに会えなかったのですが。
今、プイさんはプーケットでホテルの従業員をしているとのこと。
語学が堪能で、サービス精神が旺盛で、しかも、西洋人のマナーも理解していて、しかも洒落っ気のあるプイさんのことだから、3つ★、4つ★クラスのホテルで即戦力だと思います。
きっと結果を出してくると信じています。

つくづく思うのですが、災害によって人の人生が翻弄されてしまうんですよね。
しかも、この話はプイさんだけの話ではなくて、無数にあるんですよね。
タイ人はやさしいから、家族の誰かが津波が怖いというと、海の近くにあったかつての家には住まずに、復興住宅に住む。そのことによって、今までと同じ仕事や生活が出来なくなる。
それは、家族はそのままですが、一種のコミュニティ破壊が起きうる状況とも言える。

このコーカオ島に出来上がってきている新しいリゾートやレストランを眺め。津波がなければ、プイさんはここでレストランをやっていたのだろうかと思いにふけるのと同時に、津波がなければ、このコーカオ島に足を運ばなかったかもしれないということに気づき、少し複雑な気分になった。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]