涙がキラリ [2007年11月29日(Thu)]

お昼になったので、食事をと思ったのですが。
沿岸漁業の漁港がナムケムに出来た津波メモリアルパークの横に食堂があったことを思い出して行ってみることにした。

津波メモリアルパークは、去年津波二周年にあわせて作られた。
ですが、観光客は今ひとつ来ていないようです。
そのおかげで、メモリアルパークの隣の食堂は貸し切り状態でした。

 

ナムケム津波メモリアルパーク

この公園に来たもう一つの目的は、普段取引のないツナミクラフトの制作者の作品を手に入れることが出来るからである。
今年の二月に行ったときは園内に三軒ぐらいの土産物屋があったのだが、お客さんが少ないせいか一軒しかあけていなかった。
三脚とビデオとカメラというたくさんの機材を持ってバイクで移動しているので、あまり買い込めなかったが、普段取り扱いをしていないプロジェクトの商品を物色した。

その後に、前回行ったときに、どうしても足が向かなかったモニュメントの所に行ってみることにした。

津波を模したモニュメントと亡くなった方のレリーフとの間の道をあるくと、なぜか涙がこぼれてしまった。
ピピ島で津波の波に呑まれた方が言っていたのですが。津波の中の海の色はいままで見たことのない黒い色をしていたそうで。それが、このコンクリートで作られたモニュメントの色のイメージなんですよね。
海抜から計算すると、おそらくこのモニュメントの一番高いところかまで津波が来たということになる。それだけに、ここにいると人生半ばで波に呑まれてしまった感じがするんですよね。
(町の岸壁の高さが2メートル、村落中央部に残っていた津波の後からは高さ2メートル60センチ、つまり津波の高さは4メートル60センチだったという報告書があるからちょうど一致する)

バンニアンの10メートルよりは低いかもしれないが、人工物や町が海岸に露出し、移住労働者という弱い立場の人が多く住んでいるナムケムという町は、津波に弱く、被害が甚大になった。

モニュメントの向かい側に、亡くなられた方のレリーフが飾られている。
ナムケムは人口五千人にミャンマー人の出稼ぎ労働者がほぼ同数居たと言われている町にもかかわらず千人を超す方が亡くなり、対岸のコーカオ島は人口が少ないにもかかわらず百人の方が亡くなっている。
それらの名前が記されているんですよね。
時々外国人の名前があるので、おそらくナムケムだけでなくもう少し広い地域で亡くなった方がまつられているのだろう。(タイ語が読めないので正確なことが書けなくてすいません)
ただ、ミャンマー人の中には不法労働者も多く、正確な津波被災者の数がはっきりしていない。
つまり名前の記されていない死亡者、不明者がかなりいるということでもある。

津波メモリアルパークを後にして、青い漁船のところに寄ってみた。

大きなダンプが行き来し重機が何台もいて工事が行われていた。
開発が進んでいくんでしょうね。きっと。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]