四川大地震とチベットとミャンマーのサイクロン [2008年05月13日(Tue)]

災害というのは、弱いところに大きな被害を与える。
四川大地震にしろ、ミャンマーのサイクロン災害にしろ、見事に、弱い人々の命やなけないしの財産を奪っていく。

この2つの大規模災害のもう一つの共通点は、海外の支援がなかなか入られないという問題だ。
ミャンマーは、食料生産という面では資源はないが、宝石が取れたり、天然ガスがあったり、かつては麻薬の原料となる植物も育ちやすいそうで、それを欲しがる国がいっぱいあるようです。日本もそのような国のひとつなのですが。欧米の国も欲しがっていたりするわけです。
そこで、人権とか人道支援という言葉を使って、現地に入り込み、自国に有利にしようとするわけです。
中国がチベットにやったことにしろ、ミャンマー政府のやっていることには、賛成できないが、人権とか人道支援という言葉を使って、実質上自国に有利にな展開にしていこうという動きに対し、警戒していることは理解出来る。

そんなことで、個人的には、ミャンマー政府に対して、いちいち枕詞のように軍事政権と掻き立てるというメディアの報じ方には違和感を感じています。
ちなみに、私は、軍事政権だからミャンマーの国民が貧困なのではなく、ミャンマー政府は、国民に対して関心が低いのが原因ではないかと考えています。政府が国民への関心が低ければ、軍事政権にしろ、民間人が政権を握ったにしろ、国王が政権を握っていたとしても、国民の生活はなかなか向上しないのではないかと思うんです。

それと、今、ミャンマーのサイクロン被害に対して、お金を送ろうという動きがありますが、その活動を屈さすつもりはないのですが、実際には被害者に届かないのではないかという気がしてなりません。
それは、国民への感心が低いから、国民にお金を使わない可能性が高いからです。

一方、中国のチベットを震源としている、四川省の大地震ですが。
オリンピックがあるので、海外のNGOなどの支援を受け入れをせざるを得ない状況があるとはいえ、チベットに近い地域に、海外からの支援を入れたがらないのではないかと思います。
それは、人道支援に乗じて、中国からは都合の悪い、FREE TIBETといいながら活動をしている欧米を中心とした外国人に入ってこられるのがイヤだからです。

中国としては、自国のナショナリズムの中にチベットを抱え込んでしまいたいわけですが、欧米の国はチベットをグローバリズムに巻き込んで、植民地型に近い経済にして資源を頂いてしまおうとしていて、その狭間で揺れているのが、チベット問題なのではないかと思います。

私の好きな映画に「The Cup」という映画があるのですが、舞台であるインド国内にあるチベット仏教寺院に中国から逃げてきた子どもが出家するシーンから始まります。おそらく、生きるためにお坊さんになっているという事を表しているのでしょう。だから、いたずら盛りの少年僧たちは、和尚さんの目を盗んでサッカーに熱狂し。お寺を抜け出して、FIFAワールドカップフランス大会を見ようとします。
チベット人が中国でも、逃げてきたインドでも就労の問題もあって、お坊さんになるしか生きていけない子どもたち。そこに、密かに忍び寄るグローバリズム。中国側の様子は表現されていませんが、中国のナショナリズム、逃げた先のインド、グローバリズム、いずれにしても、チベット人がチベット人らしく生きていけないわけで、グローバリズムを受け入れなくてはならない、そのあたりが、この映画のテーマなのではないかと思います。
ちなみに、この作品の中では、グローバリズムは、コーラの缶と、サッカーで表現されています。

話は戻りますが、四川の大地震とミャンマーのサイクロン被害。
人道支援も含め、あらゆる方法で忍び寄ってくるグローバリズム。
自国の体制(ナショナリズム)がグローバリズムに巻き込まれたくないという防衛意識。
その狭間で翻弄されたり、放置され、安全保障が受けられない多くの人々。
そういう面では、見事に一致するところで、大規模災害が起きたということに、何か感じる者があります。

最後に、多くの亡くなった方のご冥福をお祈り致します。
そして、生き残った人が、主人公となった、支援活動が行われることを望みます。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]