バックドロップ・クルディスタン [2008年05月26日(Mon)]

また気になるドキュメンタリー映画が公開されます。
それは、今から4年前に国連大学前に立て籠もったクルド人難民たちを描いた「バックドロップ・クルディスタン」です。

彼らはトルコに住んでいたクルド人で、難民として日本に来ました。彼らは、国連高等弁務官(UNHCR)によりマンデート難民として認められていましたが、日本の法務省は難民と認めていませんでした。そして、いろんなことがあって、国連大学前に小さな子供も含む2家族のクルド人が立て籠もりました。
私も、たまたま、いろいろ縁があったり、彼らが、梅雨の末期から真夏にかけてコンクリートの塊のような場所にいて、暑かったり風雨にさらされていたりしたので、健康面が気になってクルド人難民の方に1.2度ですが、差し入れをした事がある。(逆にビールをもらって、いっぱい戴きながら、たわいもない話をしたりしたこともありました)
会って話して思ったのは、何で、この人たちが、ここにいなければならないのかという疑問がありました。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

 

国連大学前でクルドの音楽にあわせ輪になって踊るクルド人たち

そして、8月の下旬に、皇太子さんが国連大学に来るという理由で強制退去となり、数ヶ月後、そのうち2人が強制送還されてトルコに行ってしまいました。

「バックドロップ・クルディスタン」の予告編を見ると、カザンキランさんの帰国後の姿が映っている。
その表情が妙に穏やかなんですよね。
その理由が知りたくて、この映画が気になるんです。

既にトルコでは難民に至るようなクルド人の問題が解決したのか。
単に懐かしい仲間が来たからなのか。
日本にいるときが、異様だったのか。
日本は、難民に認定するかしないかの人にとても厳しいそうで、ランボーの最新作の舞台であり、サイクロンの被害にあったミャンマーからも難民が日本にたくさんいるわけですが、日本が難民と認めていない人が多く、彼らの身分は不安定なのだそうです。
さらに、外国人の収容施設も人権的に問題があるのではと疑問視されています。(上の写真でハンドマイクを持っているクルド難民のドーガンさんは、そのことについての本を書いています。)

ほとんどの人は意識していないと思うのですが、だれしも突然難民になってしまう可能性があるんです。これは、災害に遭うのも同じだと思うんです。
阪神大震災の時、国道や線路に沿って、誰かがはぐれてはいけないようにと、固く手を繋いで神戸から大阪に歩いて逃げる親子の姿をたくさん見ました。そこで、生活が出来ない、命が危ないとなると、家族で逃げる、そうすると誰でも難民になる可能性が出てくる。このときそう感じたんです。
神戸から大阪に逃げるときに、いくつもの市境と県境があるわけですが、これが国境であれば立派な難民です。
そうなったとき、どうなるのか、どのようにして普通の生活に戻れるのかというのは、とても大切な気がするんですよね。

逆に考えると、様々な理由で難民になってしまうわけで、難民とひとくくりにして捉えると、難民というものが見えなくなる危険性を持っているのではと思います。

クルド人の方たちと、深く付き合ったわけではないのですが、予告編で「特別じゃないですよ」と言っているあたりで、ちらっとレンタルした機材映っていたりと、たまたま少し関わっただけに気になります。(この日は喜納昌吉さんも使用)

難民ってなんだろうね。

「バックドロップ・クルディスタン」 http://www.back-drop-kurdistan.com/