新日系人 [2008年06月20日(Fri)]

いやあフィリピンは専門外だったので知らなかったけど「新日系人」って言い方してるのね。

てなことで調べたら「新日系人ネットワーク」というのがあって、そこでは「戦後フィリピンへ渡った日本人や、日本へ渡ったフィリピン人の間に生まれた日系混血二世たちのことです。」と定義しているようです。
それってフィリピンだけでなく東南アジアだけでなく、アフリカも含め、世界中にいるじゃん。しかも確実に増えています。
プーケットだけでも日本人会に登録しているだけでも100人以上いるそうです。まあ、プーケットはお金を稼ぐための場所なので、経済的に豊かだから問題が出てきにくいようですけど、金が切れたときに悲劇がやってくる。

それにしても、以下の記事は、酷い話の記事です。
これと似たようなことは、残念ながら、他のアジアの国だけでなく、世界中にあるんですけどね。とにかく、金が切れたときに悲劇がやってくる。

豊かさを求めて、日本に来たり、日本人と結婚したはずなのに、お金が切れると、悪魔になってしまう。豊かさを維持するために、人間をないがしろにしてしまうようなことをやってしまう。
それって、かつて、求めた豊かさは本当だったのでしょうか。そんな疑問を持ってしまう。

<新日系人>8歳、マニラで物ごい…母が暴力、路上生活

(毎日新聞 – 06月20日 02:41)

【マニラ矢野純一】日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれ、母とともにフィリピンで暮らしていた日本国籍を持つ男児(8)が母に物ごいを強いられたうえ、結核を患い、路上で泣いて立ちすくんでいるところを昨年6月、孤児院に保護された。「新日系人」は数万人ともいわれ、厳しい暮らしを強いられる例も多い。連絡を受け事情を知った北海道出身の父は、男児の治療が終わる今年8月、引き取りに来る。

マニラ首都圏の孤児院を訪ねると、男児は「おとうさん」「おねえちゃん」と必死に日本語を思い出し、か細い声で応えた。

男児は両親の離婚後、03年に母とフィリピンに来た。姉2人は日本に残り、家族は離れ離れになった。

当初、母子は親類の家で暮らしていたが、日本でためた金が底をつくと友人の家を転々とし、最後はマニラ首都圏で路上生活をするようになった。

保護された時の男児は、あばら骨が浮き出るほどやせ、結核にかかっていた。物ごいを拒む男児に母は暴力を振るったという。「ママはけったり、たたいたりした」。男児はこわばった表情で話す。

孤児院を訪れた母親が、日本のパスポートのコピーを持参したことから、男児が日本国籍を持っていることが判明。施設の職員から知らせを受けたマニラの日本大使館が、外務省経由で父親の居所を探し出した。

知らせを受けた父は今年3月、フィリピンに飛んできた。「この子は、これまで見たこともない輝くような笑顔を見せ、足にしがみついたまま離れなかった」と、孤児院職員のレルマさんは対面の様子を話した。

今はもう、母の居所も分からなくなった。「この飛行機で早くパパに会いたい」。男児はメモ用紙に飛行機を描きながらポツリと話した。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]