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地域の高校で甲子園に行かせたい [2008年07月29日(Tue)]

地域の高校で甲子園に行かせたい [2008年07月29日(Tue)]

夏の風物詩、全国高校野球選手権記念大会の出場校が決まりました。
東東京からは、関東一高が代表となりました。
今回は記念大会ということで、出場校が増えたのですが、東京は増えたわけではありません。

いま、新宿区の四谷地区では、関東一高のメンバーに、2人の四谷中学出身者がいるという事で盛り上がっています。
四谷地区は、神宮球場も近く、野球熱が強い傾向があります。
ちいさな公園では、少年野球の練習が熱心に行われていたり、野球をテーマにしたマンガ「あぶさん」をそのまま名前にした居酒屋もあります。
とはいえ、サッカーのメッカ?国立競技場、ラグビーの秩父宮ラグビー場、バレーボールの東京体育館も近いわけで、近いから野球熱が強いというわけでは無さそうです。

去年の12月、私がタイから帰国し、直接大阪に入った頃、四谷の地域で少年野球の監督をしていた方がお亡くなりになりました。
高校球児を含む、息子4人を残して、あまりにも若い死でした。
熱心に野球を指導していたこともあり、お葬式は、地域の人だけでなく、教え子など野球繋がりの人がいっぱいきて、お寺から地下鉄の四谷三丁目駅まで、参列が出来ました。
その元監督が生前おっしゃっていたのは「(子供を)地元の高校から甲子園に行かす」という事でした。

もうこの何十年かは、野球留学とかいって、子供をわざわざ競争率の低い地方の学校に転校させて、地区予選を勝ち抜き、甲子園に出場させるという事が流行っていました。
そのおかげで、地元の高校が甲子園に出場しても、地域で生まれ育った子供がいないという事が発生しました。

関西では、女の子にとっていい男の子を捜す格好の材料として高校野球というのが存在しているため、関西にいたときはあまり感じていなかったのですが。
東京は、高校野球についての関心が低下していっています。(高校野球以前に、大学野球の関心が顕著に低下しましたが)
野球賭博が流行らなくなったなどの原因もあるのでしょうが。
地域の代表なのに、その地域で生まれ育った選手が少なく、地域やその関係者が応援出来る体制が作りにくいという事が大きいのではないかと感じています。

今回、東東京地区大会の決勝で勝利し、途中から登板し、4回を投げた、胴上げ投手は、実は、元監督の息子さんです。
全ての息子さんに、厳しく指導していて、家の前での素振りやキャッチボールの時の指導がかなりシビアだったのが印象に残っています。
もう一夏、元監督が長く生きていたのなら、この目で見れたと思うのですが。残念ながら実現しませんでした。

元監督の奥さんがおっしゃっていましたが、おそらく、天から夢が実現するように、引き上げてくれたのではないかと思います。

お盆には、ご先祖や故人の霊が戻ってくると言いますが。
夏の甲子園のために、元監督も戻ってくるのでしょうか。

合掌

そして、出場決定、おめでとうございます。

 

町内会の掲示版にも記事が張り出されています。

東東京 関東一、14年ぶり4回目の甲子園

2008年7月27日16時7分 朝日新聞

春夏連続出場へ――。第90回全国高校野球選手権記念東東京大会(朝日新聞社、都高野連主催)の決勝が27日午後1時から神宮球場であり、関東一が東海大高輪台の初優勝を阻み、14年ぶり4回目の夏の甲子園への切符を手にした。

関東一は第1シードの帝京を打ち破った強力打線が好調を持続。松本、押久保、大木、白井ら投手陣も層が厚く、ノーシードながらここまで6試合を危なげなく勝ち上がってきた。

この日も4回に5長短打で一挙に6点。その後も着実に加点して突き放した。

【全国高校野球選手権記念大会東・西東京大会】
関東一、強力打線でV

2008年07月28日 朝日新聞

◆4回、流れ決める6点

東海大高輪台100112000 5
関東一    00261200× 11

東大会の決勝が27日、神宮球場であり、関東一が14年ぶり4回目の夏の甲子園出場を決めた。抽選の結果、選手権大会3日目第1試合で茨城代表の常総学院と対戦する。この日も外野スタンドが開放され、観衆は1万8千人。東海大高輪台側のスタンドからは「全国制覇、任せたぞ」と関東一を励ます声援が飛んだ。最後まで攻め続けた高輪台には、関東一以上に健闘をたたえる大きな拍手が寄せられ、20日間に及んだ東西大会の熱戦は幕を閉じた。

◆東海大高輪台届かず 攻め続け「あと一打」

◎…第1シードの帝京を打ち破った関東一の強打線が中盤、5試合連投の東海大高輪台、高橋雄の制球の乱れを突いた。

同点で迎えた4回、関東一は、連打と連続四球で押し出しの1点を得た後、なおも1死満塁の好機に田辺の右中間三塁打で走者一掃。この回打者9人の猛攻で6点を勝ち越し、流れを決めた。その後も5回に犠飛で1点、6回に玉井の左中間二塁打で2点を加え、突き放した。

東海大高輪台は大差となっても持ち前の粘り強い野球で追いすがり、6回には広野の中前安打で2点を返して4点差まで縮めた。だが、直後に救援した相手投手の好投と、堅守に反撃の芽を摘まれた。

8、9回も三塁へ走者を進め、攻め続けたが、あと1本が出なかった。

●関東一・広瀬公秀主将

技術力では東海大高輪台に劣っていた。気持ちで勝った。今春の選抜で初戦負けし、甲子園に「勝利」という忘れ物をしていた。この夏、忘れ物を取りに行く。一つでも多く勝利をつかみたい。

●関東一・米沢貴光監督

相手のスキを見て足を使うチームカラーがよく出た試合だった。今日は点を取られても、すぐに取り返す強さがあった。相手投手の力に負けずに攻撃できたのはよかったが、点差以上に最後まで苦しかった。

●東海大高輪台・高橋政貴主将

最後まで誰一人あきらめていなかった。だから9回にも連打が出た。みんなで力を出し切って戦ったので悔いはない。エースは疲れていたのに気持ちだけで投げ続けてくれた。よく頑張ってくれた。

●東海大高輪台・宮島孝一監督

一生懸命戦った。うちに恥ずかしいところはない。それ以上に相手がいいチームだった。主戦の高橋雄は連投にもかかわらず、最後まで一生懸命投げてくれた。投手を中心
にしたいいチームだった。

◆健闘たたえ幕 東東京大会閉会式

試合後、神宮球場では東東京大会の閉会式が行われた。優勝した関東一の広瀬公秀主将が、都高野連の藤井文雄会長から優勝旗を受け取ると、スタンドから拍手と歓声がわき起こった。

藤井会長は「関東一は走攻守の総合力と集中力で栄冠を手にした。東海大高輪台も、ねばり強く戦った」と健闘をたたえた。

◆合宿所の調理師も応援 関東一

関東一のスタンドには、野球部の合宿所で選手たちの食事を12年間作り続けてきた、調理師の原康浩さん(46)も応援に駆けつけた。原さんの食事で育った野球部OBらも周りを囲んでいた。

原さんの愛称は「テンチョー(店長)」。選手たちは毎日、ご飯をどんぶり飯で4、5杯、おかずも魚、肉料理と副菜を一般の3、4人前に相当する量を食べる。約200人前に相当する量を、原さんはパート従業員と2人で毎日、作っている。

原さんは「いっぱい食べて自分たちの野球をして、ぜひ甲子園に行って欲しい」。

◆未来のナイン?特注「ユニホーム」で応援

「ついにこの日が来た」――。東海大高輪台のスタンドで観戦していた同校OB、林伸洋さん(35)は、長男の拓未くん(3)が着ていた野球部ユニホームのレプリカを見て感無量。長男誕生とともに特注し、「決勝進出したら着せて応援だ」とタンスの奥に眠ったままだった。

今年もダメだろうと思っていたが、4回戦の成立学園戦を見て考えが変わった。先制されても追いすがるねばり強さに、1戦ずつ成長する選手の頼もしさを感じたという。

「ここまできたら、一生懸命やって悔いのない試合をしてくれればそれでいい。息子にも将来野球をさせたい。選手たちのがんばる姿を見て欲しい」

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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