活動したことを伝える意味 [2009年01月19日(Mon)]

1月17日に阿佐ヶ谷のLoft Aに『パレスチナ1948 NAKBA』上映&トーク に行ってきました。

イベントの実施の直前に企画が決まり、2.3日しか告知期間がなかったにもかかわらず会場はいっぱいになってます。
店長さんに聞いたところ、予約だけでも50名で、最終的に約80名が来場したそうです。

この日は、ガザ空爆に対して様々な上映会が行われ、新聞などにも報道されたのですが。一方でこのイベントは紙媒体での露出がなかったにもかかわらずこれだけ集まったということはすごいことです。

『パレスチナ1948 NAKBA』は、40年前に当時ひとつの理想的な社会の事例のひとつと言われていたイスラエルの農業共同体「キブツ」に研修に行った広河隆一さんが、たまたま、近くにある破壊された廃墟を見つけたことから、パレスチナ人の行方を追う旅が始まり、その膨大な資料によってつくられたドキュメンタリー映画。
なぜ、廃墟が出来たのか。
そこに住んでいた人はどこに行ったのか。
そこに住んだ人は追いやられた後、どのような暮らしをしたのか。
廃墟になる以前はどのような暮らしをしていたのか。
廃墟になった時何が起きたのか。
そういう様々な疑問を、様々な人との出会いと、継続して繋がっていくことで明らかにされていく。
激しい戦いや悲惨な被害のシーンもある一方で、イスラエル内にもパレスチナへの扱いに対して疑問を持っている人もいたり、人を殺す活動から足を洗い医療や教育に転ずる人の姿、約60年ぶりに村を見ることが出来た人がいたりと希望が見える場面もある。

131分と少し長い作品だが、40年間撮り続けたことからすれば、ほんのわずかのことでしかない。そして、そのほとんどは報道されず、そのわずかな情報の中で世の中が翻弄されている姿が見えた。
何かの機会があればぜひ見てほしい。

さて、上映が終わった後は、重信メイさんとシバレイくんとのトークでした。
現地時間の1月17日にイスラエルが停戦を発表したのだが、今回のガザ攻撃の原因となった停戦中にハマスがロケット弾を打つまでのいきさつの話などが聞けた。この話は全くと言っていいほど大手メディアで取り上げられていなくて。ハマスがイスラエルと合意した停戦を破ったように受け止められている。
実際は、前回の停戦はハマスの方が停戦を宣言しただけで、イスラエルは停戦をしていなかった。そして、その間にハマスに対して様々なちょっかいを出していて、停戦の間にハマスがわが30人ほど殺されていたそうです。
今回のハマスによるロケット弾を発射する一週間前にもハマスに対して攻撃が行われていたそうで。ロケット弾の発射の一週間前に大きく報じられていれば、ハマスが開戦の切っ掛けとなったという報道とならなかったと思われる。
一般的に、先に手を出した方が悪いとされるたげに、どの時点で情報を切り取って判断するかによって大きく違ってしまうという恐ろしさを感じた。

ということで、非人道的な事やら、どっちが悪いか的なあまり希望が見える話にならない中で、自分たちに何もできないのではないかと思いかけていた時に、素晴らしい話があった。

1月10日に、今回のイスラエルの攻撃をやめるようにしたデモが世界各国で開催されたのですが。あまり報道されなかったのですが日本でもデモが行われました。
その様子をビデオに撮って、映像サイトに掲載したところ、アラブ人たちがそれをみて、極東のこんなに離れた地域の人が活動してくれていることを知って勇気をもらったとのことのコメントがついたそうです。

反戦とか、そういう活動に限らず、自分たちが活動したことを伝えることによって、自分たちの力が及ばなくても、困っている人がその活動を知ることで、わずかながらも希望が持てたり、勇気が出たりする。
活動したことを伝えることの本質を再確認した出来事だった。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]