福井でバーンターンナムチャイの支援が行われているようです [2009年05月18日(Mon)]

アンダマンスマイル展」で展示している、3月にタイに渡り子供たちに絵を描いてもらっいバーンターンナムチャイの記事が福井の読売新聞に3回にわたって掲載されているようです。

タイの津波孤児施設訪問 心の傷いまだ癒えず
広がれ、やさしさの輪(上)

2004年12月のインドネシア・スマトラ島沖地震・津波で、家族や家を失った子どもたちが暮らすタイ南部の津波孤児センターの一角に今年1月、調理や製菓を学べる学習体験センターが建てられた。建設資金は、県内の災害ボランティアたちでつくる「やさしさの輪実行委員会」の募金がもとになった。先月下旬、同実行委に参加したNPO法人「ふくい災害ボランティアネット」(坂井市)の企画による現地訪問ツアーに同行する機会を得た。大規模災害から立ち直ろうとしている人々の姿や被災児支援の現状を報告する。(井ノ口麻子)

タイの代表的なリゾート地、プーケットの北約80キロ、アンダマン海に面したパンガー県にある津波孤児センター「バーンターンナムチャイ」。タイで貧困や虐待、非行に苦しむ子どもたちを支援しているドゥアン・プラティープ財団(バンコク)が06年に設置した。現在は出稼ぎへ行く親が預けた2歳児から17歳までの62人が暮らし、学校にも通っている。

地震発生後、近くの漁村には5メートルの津波が押し寄せ、海沿いの家々を消し去った。犠牲者は数千人。翌日、財団本部から現地入りしたロッチャナー・プレスリトーン施設長(43)は、1階の床だけが残った家々の残骸(ざんがい)、遺体の山を見た時の衝撃が忘れられない。「避難所では、未使用のひつぎをテーブルにして、遺体をくるむ白い布をテーブルクロスに使った」と振り返る。

生き残った子どもたちは表情というものを失っていた。大雨や雷の音を聞くと恐怖で叫び出したり、ほとんど口をきかなくなったりした。

4年半がたち、表面上は明るさを取り戻したようだが、今でも津波の話を聞くと大泣きする子もいるという。

子どもを世話する大人も心に傷を抱えている。ボランティアを含めたスタッフ17人の大半は地元住民で、被災者でもある。32歳の女性は津波で息子を亡くし、自殺したいと思い詰めたが、財団から「子どもたちのために頑張りましょう」と誘われた。今は施設での仕事が生きる支えだ。

4泊5日の今回のツアーには8人が参加。施設では、子どもたちとの交流行事が連日開かれた。子どもたちは次第に打ち解け、中でも幼い子どもは無邪気に参加メンバーに甘えて抱きついてくることもあった。福井市足羽、保育士山田里美さん(30)は「大きい子が小さい子の世話をして、仲良く助け合っているが、まだ大きなストレスが残っているようだ。つらい思いをした子どもたちの助けになりたい」と力を込めた。

(2009年5月13日 読売新聞)

福井豪雨の経験 契機に
<広がれ、やさしさの輪 タイの津波孤児施設訪問>

マンガ「デスノート」のイラスト入りTシャツを着た子ども。ホールのテーブルには、ドラえもんのビニールクロス。タイ・パンガー県の津波孤児センター「バーンターンナムチャイ」には、〈日本〉があふれていた。だが、ロッチャナー・プレスリトーン施設長(43)は複雑な表情を浮かべた。「日本人のボランティアが来たのは初めてです」。英国やオーストラリアなどの支援団体は同センターに対し、定期的に寄付やボランティア派遣をしているという。

ツアーの参加メンバーは「日本を伝える」をテーマにした交流会を開催。福井を紹介するスライドを上映した。越前和紙を使ったうちわ作りでは、見たばかりのスライド映像を思い出して桜や永平寺、雪だるまを描く子どももいた。福井産コシヒカリを用いた巻きずしやおにぎりなどをふるまうと、「日本食は初めて」という子どもたちがおかわりを求める長い列を作った。

2004年7月の福井豪雨。全国からはボランティア約6万人が駆け付けた。スマトラ島沖地震・津波が起きたのはその年の12月。「ひとごとではない」と、県災害ボランティアセンター連絡会が中心となって「やさしさの輪実行委員会」が結成された。チャリティーイベント開催や街頭活動で募金を集め、約220万円をタイのドゥアン・プラティープ財団へ寄付。津波孤児センターでの学習体験センター建設にいかされた。

福井豪雨時に県職員としてボランティア活動を担当した越前市住吉町、永田和子さん(62)は、「募金の行方を見届けたい」という思いから参加した。「世界各地の被災地をどこまで支援できるのか難しいが、今回は喜んでもらえる結果が出せて良かった」と笑顔を見せた。

福井豪雨で多くの人々からやさしさをもらったことが、今回の支援へとつながった。交流会で、「皆さんもやさしさの輪を広げてください」と呼びかけると、子どもたちは大きくうなずいた。

プレスリトーン施設長も「皆さんの訪問をきっかけに、多くの日本人ボランティアに来てほしい」と期待を込めて語った。マンガやアニメだけではない〈日本〉を広めるためにも、今後の支援のあり方が問われる。

(2009年5月14日 読売新聞)

<広がれ、やさしさの輪>成人後の生活不安
学費や心のケア 支援継続 決意新た

「警察官になりたい」。タイ・パンガー県の津波孤児センター「バーンターンナムチャイ」で暮らすバウ君(12)は、制服を着て敬礼する大人になった自分の絵を交流会で描き、将来の夢を語った。大声で歌い、年下の子を気遣うやさしいバウ君だが、知的障害があり、津波で生き残った家族から引き取りを拒否されているという。学校が大好きで、4年前にこの施設に来て以来、1日も休まず通っているが、ずっと小学1年のままだ。

知的障害をもつ子どもはほかにもいる。被災後、当初は親族が面倒をみていたものの、政府から補助のあった2年が過ぎると世話を拒否したために、施設に引き取られた子どもも少なくないようだ。

バウ君を含め、子どもたちが施設で生活できるのは18歳まで。その後はどこかで仕事を見つけ、自活しなければならないという。

「観光地が近隣にあるので、料理ができれば、就職口はある。だから、調理室のある学習体験センターができたのは本当にありがたい」とロッチャナー・プレスリトーン施設長(43)が語る。学習体験センターでは4月から、製菓業者が週1回訪れ、主に職員を対象としたケーキ作り講習が始まっている。

滞在中に開かれた福井のメンバーと施設職員との懇談会で、「困っていることは何か」と問いかけると、職員からはやはり「子どもたちの将来」という答えが返ってきた。プレスリトーン施設長は「1人ひとりに合った学校を探し、学費を工面することが必要。心のケアもまだまだ足りない」と強調した。

施設を離れる時、子どもたちはメンバーに抱きついたり、握手をしたり、手を合わせたりして、別れを惜しんだ。

NPO法人「ふくい災害ボランティアネット」の東角操理事長(51)は「つらい思いをした子どもたちが生きる力、希望を持つためには大きな精神的な支えがいる。そのためには様々な方法がある。学費の支援や夏休みに現地で活動する学生ボランティアなどを考えたい」と、決意を新たにしていた。

災害に人生を変えられた人たちにどのような支援ができるのか。個々のケースで異なるだろうが、福井からタイへ広がったやさしさの輪が、信頼という絆(きずな)となって、さらに多くの人々へつながっていくことを期待したい。(この連載は井ノ口麻子が担当しました)

(2009年5月15日 読売新聞)

[CANPAN blog STILL ALIVE より]