バンコク騒乱が津波孤児やスラムの子どもたちにも影響か? [2010年05月19日(Wed)]

今朝の新聞で、バンコクでのドンパチのために、元タクシン派の企業や団体、個人の資産凍結(金融機関の取引停止)を行うと書かれていた。
その中に、津波の孤児施設を運営するプラティープさんが含まれているとのこと。

 

5月19日朝日新聞朝刊より

プラティープさんは、世界からお金を集めてバンコクのスラムに住む貧しい子どもたち300人に奨学金で教育支援をしたり、津波孤児センター「バーンターンナムチャイ」で50人の津波被災孤児やなんらかの事情で親と暮らせない子どもたちの生活を支えている。
プラティープさん自身だけなのか、ドゥアンプラティープ財団の資産凍結なのかの情報が入ってきていないのですが、場合によっては、資産の凍結により、これらの子どもたちが困ってしまう可能性があります。
おそらく、プラティープさんのことだから、このぐらいのことではくじけないと思うし、子どもたちの支援を続けると思われます。それでも、影響は隠せないと思います。

5/17の西日本新聞に掲載された記事の中で、プラティープさんが理事長のドゥアンプラティープ財団の奨学金の授与式で「たとえスラムに育っても、大切なのは勉強すること。人生は選べないが、一生懸命勉強すれば選択の道が広がり、歩む道を選べることができます」といっていました。

プラティープさんは、15日にドンパチしている500メートル後方のスラムの人たちが新たに集まってきているところで朝日新聞の取材にに対し「政府が市民を殺すのを見かねて、みんな集まってきた。夜間外出令が出ようが集会はやめない。やめたら、包囲されている人たちの強制排除が始まる。彼らの命が危ない」と話したそうです。(なぜかWeb版では大幅カットされていて、真意が伝わらない書き方になっている)

タイの政治についてはどうなっているのかわからないことだらけですが、いまタイの貧困層が追い込まれている状況なのではと推察できます。
立てこもっている地域の多くの住民もさわぎに巻き込まれているようなので、早く事態が収まってくれるのを祈る限りです。

スラムの子ども300人に奨学金 プラティープ財団
2010年5月17日 11:40 カテゴリー:アジア・世界

子どもたちに勉強の大切さを説くブラティープ理事長=バンコク タイの貧しい子どもたちの生活、教育支援をしているドゥアン・プラティープ財団は8日、世界中から寄せられた奨学金の授与式をバンコクの同財団で行った。

本年度、奨学金を受けるのは小学生から大学生までの300人。支援者が子ども一人一人の学校生活を支える「里親」方式で、小学校低学年の場合、年約1500バーツ(約4500円)を支給。制服購入や交通費などに使われ、子どもたちの就学を支援している。里親の中には「くるんて―ぷの会」(福岡市・原田君子代表)など日本の支援者も含まれ、同会は本年度21人の子どもたちの里親になっている。

奨学金の授与に当たってプラティープ理事長は「たとえスラムに育っても、大切なのは勉強すること。人生は選べないが、一生懸命勉強すれば選択の道が広がり、歩む道を選べることができます」と、子どもたちを激励した。

(バンコク進藤卓也)

=2010/05/17付 西日本新聞朝刊=

 

朝日新聞5月17日朝刊

タイ騒乱 兵糧攻め包囲へバイク決死隊、抜け道から補給
2010年5月17日1時50分

タイ政府の治安部隊がタクシン元首相派の占拠するバンコク商業地区を包囲し始めてから16日で4日目に入った。元首相派は包囲を破ろうと占拠地の外側でも拠点作りを進めた。一方、占拠地の内側では集会参加者が大きく減る中、「兵糧攻め」に対抗して抜け道から必死で水や食糧を運び込もうとしている。

元首相派のデモ会場から約2.5キロほど離れたクロントイ地区。スラムが広がる貧困地区で元首相の地盤として知られる。デモ隊を包囲した治安部隊と、外側から包囲網を突破してデモ隊に合流しようとする元首相派の群衆が、ここで衝突した。

デモ隊が8車線の道路いっぱいに数百本のタイヤを積み上げて放火すると、治安部隊は煙越しに催涙弾を発砲して応戦。道路脇のビル上には狙撃手を配置し、後退する群衆とバリケードの間に約300メートルの無人地帯ができた。

群衆の中から突然、猛然とエンジン音をたてて、オートバイの「決死隊」が突進していく。「行けー」「がんばれよ」と歓声が上がったが、銃撃音がすると転倒。乗っていた青年は足を引きずりながら物陰にうずくまった。

青年を救おうと、今度は救急車が猛スピードで救出に向かった。待機中の救急隊員アウラワンさん(22)は「朝から20~30人を救出した。半分は助からないかもしれない。救助隊も4~5人が撃たれた」と話す。

包囲された仲間への食料を積んだトラックや、タイヤを満載した車などが続々と突入し、銃撃を受けて引き返してくる。その度に3千人ほどが歓声や悲鳴を上げた。

衝突現場から、約500メートル下がった路上には15日夜、新たな集会場ができた。集会に参加しているプラティープ元上院議員は「集会はやめない。やめたら、包囲されている人たちの強制排除が始まる。彼らの命が危ない」と話した。

包囲網の内側では、午後4時すぎ、ステージが置かれたラチャプラソン交差点の近くに小型トラックが到着した。荷台には即席めんや魚の缶詰、水のペットボトルが積まれていた。カメラを向けると、運転手が血相を変えて「撮るなっ!」と叫んだ。

即席めんだけで180袋入りの箱が6箱。支持者が早速どこかに持ち去った。後で納品書を見せてもらうと、包囲網の外側にある大型スーパーで購入し、抜け道からひそかに運ばれた物だった。

当初は緩やかだった検問は日ごとに厳しくなり、参加者の数は最盛期の数万人から2千人程度に減っている。電気や水道は遮断されたまま。列をなしていた屋台もほとんど姿を消した。

会場にはまだ多くの女性や子供、老人の姿がある。会場でゴザを妻と一緒に売るチャリンさん(23)はすでに2カ月以上、長男のギターちゃん(1)と会場に寝泊まりを続ける。ステージで歌が始まると、ギターちゃんが手をたたいて踊り始めた。「結構、この場所が気に入っているようです」とチャリンさん。

しかし、南に下り、ルンピニ公園側に入ると、一転して雰囲気が変わる。あちこちに投石用の小石や火炎瓶が用意されている。こん棒を持つ支持者の数も増え、すれ違った一人は短銃を持っていた。

「軍が銃撃してくるので、24時間気が抜けない」と現場の警備責任者のチョック氏(43)は言う。その時、南から軍のものと見られるヘリコプターが現れた。間もなく、そのヘリコプターめがけて手作りのロケット花火がシュッと音を立て次々と発射された。(バンコク=武石英史郎、藤谷健)

このWeb版記事では、なぜ新しい集会が出てきているのか、どんな人が集まっているのかがわからない。
スラムの人たちは、政府が国民を殺そうとしているために集まっているところが重要だと思う。
一般的に、新聞の紙面より、インターネットのほうが、文章を多く掲載しやすいのですが。紙面の方がWeb版より情報量が多いのは何か理由があるんでしょうかね。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]