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震災17回忌前日の神戸 [2011年01月16日(Sun)]

震災17回忌前日の神戸 [2011年01月16日(Sun)]

HDC神戸でのイベントが終わったので、ちょっと外の神戸市内の様子をのぞきに出ました。

 

みなとのもり公園に咲く3000本のシンサイミライノハナ

みなさのもり公園では、イベントが開催されたくさんの人が集まっていました。
そういや、16年前の1月16日は、成人の日の振替休日。休日明けの17日の早朝に地震が発生しました。

16年前のまま時が止まったままの時計。

東京都庁が出来る前の1年間だけ日本で一番高い建物の役所だった神戸市役所の南側にあります。
このモニュメントのある公園で、地震の直後から3月ごろまで「フラワーテント」という、音楽で街を明るくしようというステージがつくられ。毎日、毎日、いろんなジャンルのいろんな立場のミュージシャンが来て演奏してました。私も、寄せ集めの特設バンドで出演しました。
この公園で、明日の早朝に竹灯籠を点灯するということで、テレビ局やらなにやら、集まっています。

確かに絵になるところなんですが・・・
これだけ一カ所に集まるというのに、少し違和感を感じたりしています。
象徴的なところを一つ押さえれば終わり的な感覚を感じるからでしょうか。

神戸の市役所の近く意外にも、何百もの震災イベントが行われているわけです。
災害は、それぞれの場所によって、被害の内容と規模が違います。
だから、それぞれの場所でそれぞれに行う方が、被災者同士の意識のズレは少ないのかなと思うわけです。

尼崎で被災された方が「尼崎は被災地と思われてないけど、(神戸の災害のイベントに参加するのは)いいんかな」って言ってました。特に甚大な被害を受けたところが報道されやすいわけですが、あまり災害が大きくなかった所は、あまり報道されず被災地と思われていないわけで。しかも、被災者はその地域では少数派。だから、遠慮があるわけです。
大阪の豊中とか池田あたりでも被災している人がいるけど。神戸とかで大々的にやっているイベントを見ると、共感するところもあるけど、違和感も感じるわけです。

だからといって、限られた時間で伝えなければならないテレビで、そこを取り上げろというわけにもいきませんが。災害の一番ひどい地域でないところにも、震災のリアリティがあるということが何かの方法で伝えられないかなと思っいるわけです。

震災の時の火が残されていますが。

象徴的な何かで済ましてしまうのではなく。
多様な形で、いろんな側面の災害のことが伝えられることを願っています。

毎日新聞のWeb版に、宝塚・伊丹で「生」の文字を懐中電灯で書いた文字が掲載されていました。
なぜ、「生」の文字なのか。是非考えて欲しい。

住所を見る限り、大阪伊丹空港から飛び立った飛行機が左に旋回したあたりで、この人文字が見えたはずです。

阪神大震災:16年 被災地に輝く「生」…追悼行事始まる

武庫川の中州に懐中電灯で浮かび上がった「生」の文字=兵庫県宝塚市で2011年1月16日午後5時45分、本社ヘリから三村政司撮影

宝塚大橋下の武庫川中州に浮かび上がる「生」の文字=兵庫県宝塚市で2011年1月16日午後5時55分、大西岳彦撮影 6434人が死亡、4万3792人が負傷した阪神大震災は、17日で発生から16年になる。震災を体験した世代が小中学校からいなくなり、街並みに傷痕はほとんど見られなくなったが、その奥で被災地は多くの課題を抱えている。

兵庫県内の災害復興公営住宅では、入居者が亡くなるなどして入れ替わり、高齢化率(65歳以上の割合)の上昇が48.2%で止まった。だが、1人暮らしの高齢世帯は4割を超え、心身の衰えを訴える人も増えている。行政が民間などから借り上げた復興住宅では、借り上げ期限が迫るため、お年寄りが転居の不安を抱えている。

焼け野原になった神戸市長田区で最後まで残っていた復興土地区画整理事業は今年度で終了するめどが立った。下町の商店街はきれいな商業ビルなどに姿を変えたが、不況の逆風もあり、空き店舗が目立つ。かつてのつながりが薄れた地域もある。地域の人たちは活気を取り戻そうと知恵を絞っている。

被災地では16日夕から、兵庫県伊丹市の昆陽(こや)池や宝塚市の武庫川中州で、あかりで「生」の字を描く追悼行事などが始まった。

震災は終わっていない。残る課題への対応とともに、あの日の体験を引き継ぎ、発信し続けることも大切だ。「1・17ひょうご安全の日宣言」は「私たちが持っている災害の教訓をもっと活用しよう」と訴える。「被災地」を問い直す日が、また巡ってきた。【震災取材班】

毎日新聞 2011年1月16日 20時32分(最終更新 1月16日 20時38分)

「生」という文字にはいろんな意味が込められている。

被災者は、亡くなった人ではなく、生き残った人のこと。

自分たちが生き抜いたという証。

でも、報道されるときは、何千人が死んだと報道される。
被災したにもかかわらず、生き残った人の方が多いのに。

その場所を知らない人は、みんな死んだと思っていることもある。
だから、生きていることを表現したい。

STILL ALIVE = まだ、生きている。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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