助け合い [2011年03月24日(Thu)]

震災が起きて10日以上が過ぎました。東京にいる自分は被災者でないのか被災者なのか、支援者なのか支援されている人なのか、全く分からなくなりました。ただ自分が助け合いの輪の中に居ることだけが事実。

今回、ブログに書いてませんでしたが。
2月下旬から3月上旬にかけてタイにおりました。

カンチャナブリのお寺に、仏舎利塔が出来るので、その法要のお手伝いです。
お寺には、いろいろと、お世話になっているので、仏教書、Tシャツ、さをり織りの販売を手伝ってきました。売れると、タイの津波被災者や、お金がないということだけで学校に行けない子どもたちの教育費用を賄えるので頑張りました。
日本でもびっくりというぐらい売りまくりました。日本でもこれだけ売れたらいいなと思いました。売れたら売れたで在庫のリスクを負いますが・・・

そして、バンコクに戻って、タイフェスの準備。
久しぶりに、いきつけの日本料理屋に行って、バンコクの店の情報を得て、無事完了。

しかし、その夕方に、持病が発症。
薬局に駆け込む。

翌朝、パンガー県の津波被災地に移動。
バイクという車いすを得て、約80キロ圏内にある施設やプロジェクトを廻る。
これからのシーズンのための仕入れ。

さをり織り研修センターでは、新しい製品がいろいろ出来てる。
これは売れると確信するものもありました。

持病の事を気にしてくれた。ありがたい。
とはいえ、みんなに言いふらして散々笑い物にしてくれました。
おかげで、自虐ネタ完成。
辛い表情をするより、爆笑した方がなんぼかマシ。

児童養護施設もはしご。
これから、子どもたちが夏休みに入るので、その間にできる作業を発注。

ナムケムの村には、新しいホテルが完成間近。
プロモーションのために写真撮影。

そして、プーケット空港に向かう車の中で、ある津波被災者から「日本って、地震や津波が多いと聞いてるけど大丈夫か」と聞かれた。
私は「よく地震や津波が来る。しかし、しばらく特大が来ていない。歴史から紐解くと近い将来起きる可能性が高い」と答えた。
その1週間後に、東日本大震災が起きるとは全く予想もしていなかった。

持病の方は回復傾向にあったが、車いすで帰国。
タイ航空さんや成田空港さんにはお世話になりました。

そんなことがあり、地震が起きた後、家族の無事を確認した後に、タイの津波被災地で会った方などにメールを送った。

いろんな返事が来た。6年前の津波で繋がった世界各国から。

タイの津波被災者たちが、日本のために募金をしているとか。
原発事故が報じられると、国際電話で「バンコクに逃げてこい、家は確保するから」という方まで現れる。海外ではどのように報じられているのか心配になる。
とはいえ、逃げられる場所があるというだけで安心できる。

日本国内でも同様の事が起きた。
ツナミクラフトは、東北地方に取扱店が多く、たくさん売って支援していただきました。しかし、今度は、こちらが支援する立場になりました。

その一方で、被災地とは言いにくい、被災地でもある東京に、「困ったら、諫早に来い」とか、西日本から次々と連絡が来る。
ありがたい。

タイから電話があり、岩手県の困っている地域のニーズにあった支援をしたいという連絡がある。毛布がたくさんあるという申し出だったが、カンが働いて、独断で断りをいれた。裏付けをとるために宮城に入り込んでいる知人と連絡を取ると案の定でした。

そんなことで、いろいろ絡まり過ぎて、支援をしているのか、されているのか全く分からなくなった。

でも、自分は助け合いの中に居る事は確かだ。

ありがたい。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]