タイと日本との津波からの復興の違い(2) 仕事の復旧の早さと新しい仕事づくり

この夏のスタディツアーのPRのため最近ラジオへの出演が多いのですが。そこで興味深く聞かれるのは、タイと日本との復興の違いについてです。そこで、何回か連載でその復興の違いについて触れてみようと思います。今回はその第二弾「仕事の復旧の早さと新しい仕事づくり」です。

前回は、津波後に人口が増加した話でしたが、なぜ人口が増加したかの要因の一つについて書きます。

タイの津波被災地では、いろんなレベルの人がまず仕事の復旧を優先しました。自分たちが何で生活をしているかを理解し、そこにフォーカスをして復旧が行われました。そのいくつかの話を書き出してみました。

津波で被害を受けたパトンビーチは1週間で観光できるようになった

プーケットで一番賑やかなパトンビーチは、クリスマス休暇中のピークシーズンの2004年12月26日に津波の被害に遭いました。ビーチの中心のバングラ通も浸水しジェットスキーが走ったという写真が有名だったり、スーパーマーケットには津波で流された乗用車が何台も突っ込んでいました。バングラ通の奥にある屋台の店には胸の高さぐらいまで浸水した跡が残されていました。
パトンビーチ住民らの証言によると、大きな被害があったにも関わらず、1週間で観光客を向かい入れる状態にしたそうです。消防車のような車両を導入し、町中に残された砂を24時間体制で洗い流したそうです。そして、どうしてもお客さんに見せられない破壊された店舗や瓦礫の周りにはバリケードが設置されました。
これを見ていたあるタイ在住の日本人は「普段あまり働かないと思われるタイ人もやるときはやるんだなと感心した」と言ってました。
町は観光で食っているという事を理解したうえで、観光できない状態が短いほど町の経済へのダメージが減るとの判断し、優先して復旧作業を行った。町の象徴的な部分をいち早く復旧させることは対外的に好印象をもたらす事が出来る。長期滞在の多いヨーロッパ人観光客に対しサービス出来る体制が整ったと知れば、津波後、タイ国内や東南アジアに一時避難していたプーケットのお客さんも全てではないが戻ってくる。

サービスが不完全でもとにかく営業をする

津波から半年後のピピ島に行ったとき、印象的だったのが下の階が津波で破壊されていたにも関わらず、上の階だけでホテルを営業していた事です。不便な分、料金が安くしているという事もあり、お客さんが滞在しているようで、3階、4階のテラスでリラックスをするヨーロッパ人の姿を多数見ました。
まさに、アメイジングタイランドという感じでした。日本では、1階2階が破壊され配管がむき出しになっている宿泊施設は見かけたことがないです。宮古市には1階に貯木場の材木が流れ込んで破壊されたホテルがあり、上の階だけでも営業していましたが、きれいにコンパネで隠していました。そのあたりは日本人の感覚なんでしょうね。
ピピ島のビーチを歩いていると破壊された建物の中にベッドが並んでいました。それは病院でした。雨はしのげますが、窓もなく海が見える病院にはびっくりです。みてくれは良くなくても、まず町の機能を取り戻す力強さを感じました。

津波から1週間後に被災経営者のもとに金融機関が政治家と共に訪問し融資の話を持ちかけた

リゾートの中には、全壊したところも少なからずあった。プーケットの隣のパンガー県のあるホテルは、津波前には豪華なコテージをたくさん有していたが、10メートルクラスの津波により看板以外の全てを流されてしまった。経営者は全てを失い落胆していた津波から1週間ぐらいしたころ、金融機関と政治家が彼のもとを訪ねて融資の話を持ち掛けた。5年間返済猶予をするからお金を貸したいので事業計画を出してほしいというものでした。そこで何億バーツの借金をして2年後にホテルを再開した。借金の返済が始まった5年後からはらくらく借金を返済できる状態になっていたそうです。

この金融機関が政治家と共にやってきたというのが、いろんな事に繋がってきます。タイは2006年頃から政権が2つの勢力の間で目まぐるしく交代を繰り返すわけですが。片一方の勢力が政権の時には津波記念公園とかみたいな観光の目玉になるような公共事業が進むのですが、別の片一方の勢力が政権を取ると前政権が行っていた公共事業がストップしそれとは別の公共事業が動き出します。そして政権が変わると片一方は止まり片一方が再開。裏はとってませんが、自分たちのグループが融資したところが儲かるように公共事業をやっていたのではないかと疑っています。とはいえ、政権がコロコロ変わったおかげで両方の勢力の推す公共事業も10年後には完成してました。めでたしめでたし。

避難所でも働きたい 被災者は仕事が欲しいというニーズ

日本での災害時避難所は高齢者がじっとしているというというイメージがある。数日なら良いが、それが一週間、一カ月、二カ月と長期化してくると、何もしなくても物資や食事も届けられることで生きる力が落ちてしまい生気の感じられない空間が出来上がってしまう事があります。

3000人の暮らしたタイ最大の避難所バンムアンキャンプでは、被災者たちの仕事づくりのプロジェクトが数多く実施されました。ツナミクラフトはこれらのプロジェクトを支援することから始まりました。

その被災者たちの仕事づくりのプロジェクトのひとつが「さをり織り」です。導入のきっかけは、タイのカンチャナブリのお寺が被災地支援で何かできないかとリサーチしていたところ、被災者たちはじっと何もしないのは辛いので仕事をしたいというニーズを聞き。被災者の心のケアを目的にお寺にあったさをり織りの一式をタイ南部まで運び、津波からおよそ1か月後に、けがの治療などの医療行為が一段落したと撤退し残していったテントを使ってプロジェクトを開始しました。お寺に集まった震災の寄付金を使い、機織りだけでなく、プロジェクトにかかわる事ならどんな仕事をしても最低賃金がもらえるようにしました。復興が進み仕事が得られる機会が増えてさをりプロジェクトから離れる人が多数いましたが、さをり織りは今では津波後に出来た新しい仕事であるとともに地域の誇りとなっています。

食料を支援するのではなく食料を得る手段を支援

ツナミクラフトのスタディツアーのカウンターパートナーのアンダマンディスカバリーズ社は、元は津波被災者支援の団体NATR(North Andaman Tsunami Relief)でした。NATRは被災地村落にコーディネイターを送り込み被災者に寄り添う支援を行いました。その活動のひとつは、漁師たちに漁具を提供するものでした。食料を支援するのではなく、食料を得る手段を支援しました。これはNATRだけでなく、他の多くの団体も漁船や漁具を提供していました。
また、NATRは、住民のニーズにこたえるとともに英語教育、環境保護、村落開発などを実施しました。その後、それらの活動とその成果を組み合わせてホームステイプログラムをつくりあげました。これはコミュニティ・ベースド・ツーリズムという考えのもと実施されました。小さな村落に観光客を受け入れることは観光業となるので、行政の指導のもと、NATRというボランティア団体から民間会社としてアンダマンディスカバリーズ社に組織を変更し現在に至っています。
復旧事業、復興事業が、その地域の新しい仕事になりました。人口も少しですが増えてます。
こういう例は他にも複数あり、災害支援をきっかけに福祉施設が出来、地域の問題を解決しながら、その施設自体も住民の雇用をしています。

タイの津波被災地に通って感じてきたことは、ビジネス、政治、心のケア、村落開発などいろんな切り口があっても共通して、とにかく「いち早く食えるようにする」という事が徹底し、優先事項として実施していることです。また、返済猶予の条件をつけた融資にしろ、教育や福祉にしろ、企業や人材の未来に対し投資している面が見られます。
とにかく「いち早く食えるようにする」という事は、日本の災害復興において優先順位が低いのではないかと思えてならない。
東日本大震災においては、高台移転や防潮堤建設など防災対策をしないと、住めない、働く場所も再開できないという事が起きています。防災対策が大規模で、当然工期が長くなりその結果、働く場の再開が遅くなり、待ちきれない若い人は町を出てゆきます。仕事の再開を待たせるなら、被災地では闇市を黙認するか特区として認めたら流出は抑えられたかもしれない。
また、原状復帰を優先したり、何十年前の計画が災害をきっかけに急に進みだしたりすることで、未来への投資がおろそかになっている面もあると思います。
災害をきっかけに将来を見据えて新しいものにしていく、住んでいる人の能力を高めるという事をする。そこにヒト、モノ、カネを投入することで、過疎化の流れを変えてゆくことが可能になってくるのではないかと思います。

そんなことで、タイの現場で何か起きているかをこの目で見てみるスタディツアーの申し込みはこちら。20日までになるべくお申し込みください。まずはお問い合わせを。

「タイと日本との津波からの復興の違い」は、まだ続きがあります。次回は「住宅の復旧」についてです。

 

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