タイと日本との津波からの復興の違い(7) 大きな堤防がない海岸

この夏のスタディツアーのPRのため最近ラジオへの出演が多いのですが。そこで興味深く聞かれるのは、タイと日本との復興の違いについてです。そこで、何回か連載でその復興の違いについて触れてみようと思います。今回はいったん最終回といたします。

やはり一番反響が大きかったのは「大きな堤防がない海岸」でした。

東日本大震災では、まず災害に遭わない場所を作って、そこに住めるようにするという方法がとられました。そのため、高台移転をしたり、町全体をかさ上げしたり、かつてあった防潮堤が津波によって乗り越えられてしまったのでさらに大きな防潮堤をつくるなどの工事を行い、それが出来るまでは浸水がひどかった区域は特別なことがない限り建物を建ててはいけませんという方法がとられました。
しかし、東日本大震災の浸水区域は広大で、浸水の酷かった区域に住む人の人数がも多く、津波の高さも高かったので高台を作る工事が大規模化しその分工期が長くなり仮設住宅暮らしが長期化するなど元の暮らしになかなか戻れないという事が起きました。

多くの役人が犠牲となり、地方行政の行政崩壊が起きたところに、多くの避難民を抱え、さらに大規模工事の話が持ち上がり。時間が経過するとより復旧が遅れるという状況で強引なプロセスでの意思決定が行われたこともあった。ちゃんと話し合って良い形にするのか、とにかく工事を済ませて元に戻りたいなどの様々な意見をちゃんと調整し合意形成出来ていたのか疑問も残ります。

日本人は「決まったことだから」と受け入れてしまう事が出来てしまうのですが。長期間、仮設住宅で暮らし元のくらしに戻れなかったのはダメージは大きい。
ただでさえ過疎化が進んでいるのに、元の生業が戻らないということで外に出ていく若者(言い方として、親父さんが「家はオレが守るから、お前は都会に出て生きろ」と言って送り出したりとかしてる)などで人口流出と高齢化が進んだ。長期間、他の地域で暮らし移住先で根を張ったケースもあるでしょう。

日本は先進国なのに何年も仮設住宅暮らしを強いるのが信じられない

タイの少数民族のある津波被災者は「6カ月の仮設住宅での暮らしはとても辛かった。日本は先進国なのに何年も仮設住宅暮らしを強いるのが信じられない。元の暮らしに戻れますように。」と言っていた。
この話を聞いたとき、仮設住宅を含む長期的な避難生活は人権を侵害している面もあるかもしれないと感じた。

さて、タイと日本との津波からの復興の違い(3)では「2年で仮設住宅解消」という話をしましたが。タイが仮設住宅の長期化しなかった理由の一つは大規模な堤防を作らなかった面が大きいと感じています。

前置きが長くなったので写真を見てゆきましょう。

タイの事例

ナムケム村

 ナムケム村の漁港

タイで一番被害が酷かったナムケム村の漁港です。ナムケム村には、チームを組んで複数の中型の漁船で漁をする沖合漁業と、小さな船でマングローブの方に網を仕掛けたりする沿岸漁業とで船着き場が違うのですが、この写真は沿岸漁業の漁港です。
小型の漁船は砂浜に係留されています。後ろには仕分けや水産加工をする住居兼作業場があります。津波で破壊された家は国際NGOなどの手で再建されたものがみられます。町中に魚が干してありどこか懐かしい風景があります。
この町は、海抜2メートルぐらいの土地が広がっていますが。津波の警報があると津波避難棟に逃げます。津波避難棟は政府がつくったものの他にNGOが作ったものがあり。そのうちひとつは幼稚園を併設しています。

 政府が作った津波避難棟

この津波避難棟は離島も含め低い土地が広がっている地域に点在しています。この津波避難棟はビーチの横にあり海が一望出来ます。

タレーノーク村

 タレーノーク村

山が迫ったタレーノーク村は町の中心を山際に集めました。
右の写真が漁港です。かつてはここに数軒の家がありましたが今は作業小屋のみです。木で組んだ構造物はクラゲの水揚げ用の滑り台です。ここで採れたクラゲの一部は日本に輸出しています。
左の写真の赤い部分は浸水予想区域です。浸水予想区域の北半分のほとんどがマングローブ。マングローブは海の生物のゆりかごとも呼ばれていて、稚魚が育ったり、海に砂が流れないようにすることで海の濁りを減らしたりサンゴ礁が守られています。また、村のスーパーマーケット的な役割があり。魚が欲しかったらちょっと獲りに行くという感じで出かけるそうです。

堤防がないので自転車で楽々ビーチに行けます。

スリン島

   海洋少数民族モーケンの村

海洋少数民族モーケンは、文字をもたないが、口承伝承で200年以上前の津波の知識があり。潮の流れで津波を察知して全員裏山に逃げて助かりました。
この家は津波前までは海の中に建っていて、家の中から釣りをしたりしていたそうですが。津波後は規制によって陸側にセットバックしたとのことです。それでもビーチの上に家が建ってる。

リゾート

   

リゾートも政府による建物規制はありますが堤防はありません。お客さんは気軽にビーチに出られます。お客さんが滞在したり食事などをする場所は一定の高さが設けられています。
ホテル内には避難場所が設置され、ホテルによってはフロントや朝食会場というお客さんが必ず使う場所が避難場所になるように設計されています。ホテルも独自に避難訓練を実施するだけでなく、地域での避難訓練も実施しています。

  プーケット・メルリンホテルにて

客室には安全のしおりが目に付くところに設置されています。
タイの避難看板はタイ語が読めなくても絵でなんとなくわかるようになっています。
日本の津波の避難看板のような細かい情報がなく、一目瞭然なのが特徴。

これらの写真をみてわかるように、この地域の人々の暮らしには海が欠かせない。生活のための海なのです。だから大きな堤防を作らない選択をしています。
もし津波が来たら、命は助かりますが、いろんな財産を失うかもしれませんが。それより、いまのQOLつまり生活の質を重視しています。

堤防によって財産が守られることはとても重要なことですが、それによって生活の質や生業を失うのは本末転倒なのではないかと感じています。

日本では、すでに大きな堤防が出来上がり、従来の暮らしからすると一変してしまっていますが。いまからでも、すこしでも、住民を主体とし、生活の質を高め、将来にわたって持続可能な復興が出来ないかと思います。

そんなことで、7回にわたった連載をいったん終了させていただきます。
今回は慌てて書いたので、詳細について触れられなかったりしていますので、いずれそのあたりも触れてゆきたいと思います。

そして、できればわたくしと一緒にこの現場を見ませんか? 今回のツアーの日程には合わなくても、5人ぐらい集まっていただければご案内できるかと思います。是非ご検討ください。

長々とお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

関連記事

タイと日本との津波からの復興の違い(1) 「津波後に人口が増加!?」
タイと日本との津波からの復興の違い(2) 「仕事の復旧の早さと新しい仕事づくり」
タイと日本との津波からの復興の違い(3) 「2年で仮設住宅解消」
タイと日本との津波からの復興の違い(4) 「住民に寄り添った支援(前編)」
タイと日本との津波からの復興の違い(5) 「住民に寄り添った支援(中編)」
タイと日本との津波からの復興の違い(6) 「住民に寄り添った支援(後編)」
タイと日本との津波からの復興の違い(7) 「防潮堤のない海岸」
スタディツアー