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7年目にして復旧から復興へ

7年目にして復旧から復興へ

7月27日から7月31日まで宮城県、岩手県の沿岸部をめぐって感じたことは7年目にしてようやく復旧から復興にシフトし、復興が実感できるようになった一方で、震災をきっかけに出来たコミュニティや活動の維持が曲がり角に来ていて、より自立が大切になってきたという事です。

高台移転は大規模な事業となりどうしても時間がかかるという問題はありますが、復興への実感が出来ているというのをひしひしと感じました。ようやく自分らしい暮らしができるという喜びでしょうか?

スマトラ島沖地震のタイの津波被災地の3年目ぐらいの時の感覚に近いでしょうか。

その一方で、いままで利用できていた仮設住宅のコミュニティスペースが使えなくなる事で、震災をきっかけに出来たコミュニティや活動の維持が困難になるという問題も起きてきています。

場をつくるための場所を、今度は自分たちで作らなければならなくなった。

いままでは、いろんな災害復旧に伴う施策に乗っかる形でいろんなものが利用できたのですが。いままではなんとなく出来ていたものも、これからは、自分たちで意思決定をして、自分たちで予算を組んでやらないといけない。

タイでは、大津波と関係なく地方行政が住民主体の意思決定をしていこうという流れがあり。コミュニティの活動のためのスペースが確保されていて。簡易的ではあるにせよ、地域コミュニティで実施するコミュニティ維持や地域おこしのための収益事業のスペースが確保されているケースをよく見かけました。

日本の場合、タイより寒冷な事があるのと、耐震基準がしっかりしているので、どうしても簡素な作りではできない面があるのですが。それが、自分たちでなにか活動したりするためのハードルを上げてしまっている。

なんらかの方法で、そのハードルを下げることはできないのでしょうか?

規制緩和によってハードルを下げる方法もありますが、私は自分たちで意思決定をする能力を高めることでハードルを越えやすくするのがベストだと考えています。
自分たちで企画し調達をして運営する能力を高める仕組みが必要だと感じます。

それが、タイにあって、日本に足りないものの一つだと思います。

阪神淡路大震災の20年目の日にさをり織りのワークショップをやっていて気が付いたのは、心の復興は時間がかかるという事でした。20年経過した日に織物に接して震災以降初めて心が晴れたという方がいました。

物理的な復興については実感できるようになっても、心の復興には時間がかかります。心の復興を必要とする人がいる限り活動を続けていく必要があります。

どのように人間開発を進め地道な活動が維持できるかが課題です。

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