ロッジャーナ所長が亡くなりました

タイ・パンガー県にある児童養護施設バーンターンナムチャイのロッジャーナ・プレスリトーンさんが、2017年12月24日12時35分(現地時間)に亡くなりました。

バーンターンナムチャイは、タイ南部のパンガー県にあり、様々な問題を抱える100人の子供たちが共同生活をしています。

(写真は被災地をつなぐさをり織りを織るロッジャーナさん)
ロッジャーナさんは、バンコクのスラムにて育ち、ドゥアンプラティープ財団の学校などで学び。今から30年ほど前に日本に人形劇を学びに来日。帰国後、タイ国内の子供たちの問題に取り組みました。

2004年12月26日スマトラ島沖地震が発生し、タイ南部は大津波に襲われました。その一週間後、被災地の救援のためにロッジャーナさんをはじめとするドゥアンプラティープ財団がタイ南部りナムケム村を訪れ救援活動を開始します。当時はまるで地獄で心が強い人でないと居られない状態だったとロッジャーナさんは言っていました。
活動はドゥアンプラティープ財団が得意とする子供たちのケアから始めたそうです。また、ろうけつ染めなどを使った被災者たちの製品づくりなどによる仕事づくりも行いました。ドゥアンプラティープ財団は救援活動は初めてだったのですがなんとかやり遂げました。

2006年11月、津波孤児収容施設バーンターンナムチャイが完成、ロッジャーナさんは所長となります。当時は23人の津波孤児たちが共同生活をする施設でしたが、地域に元からある子供の問題に着目し、いろんな問題を抱える子供たちの受け入れを開始し、児童福祉施設となってゆきます。子供たちが学校に行っている時間はスタッフたちが巡回の人形劇団となり、地域の学校をまわりました。

しかし、ロッジャーナさんは乳がんを発症。丁度この頃に私は初めてゆっくり話をしたのですが。退院直後で、薬の副作用で髪の毛がない状態でした。

2009年「アンダマンスマイル展」において、児童福祉施設の子供たちとの作品づくりのワークショップや絵画作品の提供など多大な協力をしていただきました。
私も相当疲弊していたのですが、タイに行ったとき、ロッジャーナさんやバーンターンナムチャイのスタッフのみなさんに声をかけていただきました。

タイは政治的混乱が続いていたのですが。その混乱の中、2010年にドゥアンプラティープ財団の当時の理事長のプラティープ・ウンソンタム・秦さんに対し逮捕状が出て彼女の資産凍結が行われました。プラティープさんとロッジャーナさんが、スウェーデンで開催された「世界子供賞」の授賞式への出席の後、プラティープさんはタイに帰国せず、スウェーデンで別れたとロッジャーナさんからメッセンジャーが届き少しやりとりした事がある。相当心配だったようで、いつもと違うロッジャーナさんを見た瞬間でした。

2010年11月の満月、バーンターンナムチャイの子供たちと、タイの灯篭流し「ロイクラトン」の行事に参加しました。その時、ロッジャーナさんから、ドゥアンプラティープ財団から独立するのでサポートして欲しいという話が合った。ナムケム村に宿泊施設を作っているので、そこを利用して欲しいと頼まれました。
ツナミクラフトのスタディツアーは、ロッジャーナさんが率いる新しい財団を応援するために、必ずバーンターンナムチャイ財団を訪問するプログラムになりました。これは、ロッジャーナさんとの約束です。全ての子供たちが卒業するまで。

2011年バーンターンナムチャイ財団を設立、ドゥアンプラティープ財団から独立。ナムケム村に津波避難施設兼ユースセンターも完成。津波避難所の中に保育園があるという画期的な施設。この頃、入所している子供たちは約80人となります。

2011年3月11日、日本で東日本大震災が発生。翌12日にバーンターンナムチャイ財団はタクアパの市場で募金集めを開始します。津波の時に支援をしてくれた日本が大変なことが起きているという事で、子供たちがダンスを踊る20分間で大量の日本への募金が集まったそうです。

2012年4月、ロッジャーナさんが来日し、東日本大震災の被災地の福島・茨城をまわりました。
同じ星に生まれた子供たちの事が気になって仕方がないとのことでした。郡山市の室内遊戯施設などを訪問しました。線量計の数値を見て「私にはこれが良いのよ」と乳がんである事を自虐ネタにしていましたが、町中からすぐにある東海村の発電所を見て震えていたのを覚えています。
津波の被害に遭った大洗の町を訪れ、大洗リゾートアウトレットにて、ロッジャーナさんと一緒に日本に来たバーンターンナムチャイを卒業したばかりのペーさんが、復興を祈ってタイ舞踊を披露しました。彼女も津波被災者です。

2014年8月、たて糸を東北の方ががつくり、そこによこ糸を入れて共同制作をする被災地をつなぐさをり織りの件で、タイを巡回した時、ロッジャーナさんにも織っていただきました。

2017年3月11日、東日本大震災から6年目の日にバーンターンナムチャイの子供たちとともにタイの震災遺構に被災地をつなぐさをり織りを飾って災害の復興と平和を祈る式典を行いました。この式典はロッジャーナさんが現場を仕切っていただきました。
式典が終わったあと、そのまま病院に行きました。

ロッジャーナさんの日本に対する思い。全ての子供たちに対する思いは本当に強かったのだと痛感する出来事でした。

2017年4月、ロッジャーナさんはもう一度、福島に行きたいとおっしゃるので、準備をしていたのですが、来日は出来たのですが体調が悪いのでキャンセルとなり、千葉でみんなでご飯を食べました。これがロッジャーナさんと会った最後になりました。
この時集まった人は、ロッジャーナさんを通じて出会ったせいか、ほとんどの人が初対面だったのですが、最初から10年来の友達のように感じました。彼女の人生を媒体にして、ずっと昔から知り合っていたように感じたのかもしれません。

2017年10月にタイに行きましたが、短期間の滞在だったため、お見舞いに行けませんでした。それが心残りです。

ロッジャーナさんは、施設の子供たちに慕われ、将来はロッジャーナさんみたいになりたいと福祉を学びに大学に行った子もいます。彼女の精神は子供たちや、まわりにいた人たちによって引き継がれていくと思います。

ほんとうにいろんな事をされた方なので、安らかに眠ってください。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

ツナミクラフト 東山高志