スマトラ島沖地震から13年

2004年スマトラ島沖地震から13年が経過しました。
時の流れも早いものです。
いまの大学生は幼稚園から小学校低学年の時に起きた事なので知らない学生も多いのではないでしょうか。東日本大震災でさえ、大学生からすると小学生から中学生の時にテレビで見たというくらいの人が多いと思われます。

一方、支援をする大人も変化してきます。
3年前の津波10周年の時は「みな頑張ったよな」「元気だったか」という、お疲れ様会モードという感じだったのですが、13年目は違った感じを受けています。

12月24日にタイの大津波被災地に尽力された方が亡くなりました。この方は、津波で家族を亡くした子供たちが共同生活をする施設の所長さんです。
子供たちには、恐怖で海で遊べない子どもたちがいました。津波から4年が経ったころには、浜辺でバーベキューが出来るようになりました。子供たちの持つ治癒力もあるのでしょうが。それを促したのは、施設のスタッフが寄り添い続けたからだと思います。
その後、地域に元からある子供の問題に取り組みました。

別の津波で家族を失った子供たちを預かっていた施設のオーナーも今年の4月に倒れて入院しました。彼は津波に遭った子供たちが大変だという想いから。家族ごと被災地に引っ越して困っている子供たちの世話をしました。大きな組織を持たない家族経営の孤児施設は、最初のうちは海外のスポンサーからの資金がありましたが。津波から5年後に支援が途切れました。自分の着る服より、子供たちを優先し、ちゃんとした服を着せ。ちゃんとしたものを食べてもらうようにと、敷地内でオーガニックで植物を栽培し子供たちに与えました。近隣の支援団体のアイデアで、オーガニックで地鶏を育てて卵や鶏肉を売るようになり。施設の経営が好転しだしました。バンコクの大学に通う施設の卒業生には仕送りとして、お金ではなく、オーガニックの卵を送ったそうです。卵は高額で売れたそうで。売上を生活費として使ってほしいと思って卵を送っていたのに、逆に施設に寄付金が届いたという事があったそうです。
そんな彼が脳内出血で倒れました。今は退院して施設に戻っています。

時間が経過した後にどのように災害を伝えるのか

この地域も、また大津波が来ると思われます。
2011年に日本に津波が襲った事で、この地域でも津波に対する意識を新たにした面もありますが。
リゾート開発が進み移住者を受け入れて人口が倍増した被災地域もあり。どのようにして防災意識を維持するか。どのように経験を伝承するのか。地域に根付いて地域の問題解決に取り組むかなどの問題も発生しつつあります。

日本も東日本大震災から7年が経過しようとしています。
阪神淡路大震災からは23年が過ぎようとしています。
その中で、どのように伝承していくかが課題です。

これは、単に慰霊施設を作ればよい。震災遺構を残せばよい。学校行事で訪問すればよい。語り部から話を聞けばよい。ビデオや絵本使えばよい。毎年、追悼行事をやればよい。それだけでは解決しないような気がします。

また、近い将来起きると言われている南海トラフ地震について危機感を煽るような報道が続いていますが。危機感をあおる事で対策が出来るのでしょうか? 逆にどうせこの町も津波でやられてしまうのだからと投げやりになる人とかもいるのではないかと思います。
2007年に和歌山県を訪れたとき、津波が来たらもう終わりで今の仕事は廃業しようと思っている人がいるとタクシーの運転手から聞いた事があります。

12月25日、六甲山に建てられた、阪神淡路大震災と東日本大震災の慰霊の事が書かれた碑が何者かによって真っ黒に塗られたと報道されました。
なぜ黒く塗られたのでしょうか?
震災の事が、自分の事から乖離してしまっていて。
様々な伝承する行為や追悼の意がウザイ存在として見えてしまっているのではないでしょうか。

来年3月には、2つのスタディツアーで大学生、高校生をタイのスマトラ島沖地震の津波被災地を案内するのですが。
自分たちのものとして災害に向き合うことが出来るように伝える事が出来るのか勝負の時期に来ているような気がしています。

2018年春の一般公募をしているスタディツアーに関してですが、既に催行が決定しており12月25日現在6名の参加者がいます。あと6人ぐらいの参加が出来ます。
ただし、関西空港を利用する便に関して、込み合って来ているため、飛行機の席をとるのが困難な状況が起きています。関空利用の方は、早急に申し込んでください。
成田等を利用の方は余裕があります。とはいえ、昨今の訪日ブームの影響もあるので、余裕をもって申し込まれる事をお勧めいたします。

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