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南房総エリアに行ってきました

南房総エリアに行ってきました

10月20日に実施した緊急バザーの売り上げを持って11月5日に台風15号の被害に遭った南房総市と館山市に行ってきました。

11月2日~4日まで千葉市のQiballにて「とっておきのさをり展in千葉」に出展してまして。その流れで南房総エリアにひとっ飛びしてきました。

千葉県は南北に長いのですが、千葉市内から南房総エリアまでは80km以上の道のりがあります。翌日のことを考え、会場の撤去作業を終えて南房総市の宿に向かったのですが2時間近くかかりました。
この距離、岩手県で言うと盛岡市から宮古市、関西圏で言うと大阪から姫路とか、大阪から和歌山よりさらに遠いという、そのぐらいの距離感覚です。
千葉県の言いわけではないですけど、停電で通信が途絶えてしまったら、警戒していなければ千葉県庁のある千葉市からは状況が把握できないのは、この距離感なら納得です。対応には納得いかないですが。
泊まった宿は、なんと里美氏が30年ぐらいいたという岡本城という山城の中にあるという民宿。宿までの200メートルほどは軽自動車がすれ違えない狭くて曲がりくねった道を走りました。3ナンバーでなくて良かった。
宿の女将さん曰く、この山城は岩盤で出来ているので東日本大震災の時も揺れなかったし、今回の台風の強風も避けてくれたそうな。
房総半島の観光は、東京アクアラインの開通以降日帰り客が増えて、宿泊施設は大変だそうで、この宿も全室無料Wi-Fiが使えるなど努力はしているが、設備のリニューアルがあまりできていない感じでした。災害の被害を受けなかっただけ幸いだったのでしょう。

いかにも、昭和の民宿という健康的な朝食をいただき。富浦の海岸に向かう。
昨夜は暗かったのでわからなかったのだが屋根や壁が壊れている家が多かった。富浦には関東大震災の時に隆起して本土と繋がった「逢島」があると聞いたので見に行きました。海の向こうには富士山と伊豆大島が見えます。
反対側を見ると、上が平らな岡が見えます。これが岡本城址です。里見氏が好んだ山城です。鎌倉からくる船を見張るのにちょうど良かったのでしょう。このお城はJRを超えて東西にけっこう長いようで、南房総、その昔の安房の国では一番大きな山城だったようです。
そんなこんなで、ゆっくりしたので漁港をあたにしたのですが、往きに使えた道は、帰りには屋根の工事のための車両によって通行止めになってました。なので別の道を使って戻った。漁村だから仕方ないが、とにかく道が狭いところが多い。

南房総市のとなり、館山市内のフェアトレードショップに寄った。館山市をフェアトレードタウンにしたいということで、札幌がフェアトレードタウンに認定されたので、どのようにすればフェアトレードタウンになれるのかを学びに、フェアトレードフェスタに来た時に出会いました。
八幡さんの鳥居の前に至るおそらく旧街道と思われる幹線道路沿いにお店がありました。刃物を扱う金物屋さんとフェアトレードの組み合わせという少し変わったお店で、20年ほどフェアトレード品を扱っているそうです。
千葉県あたりは、かつては鍛冶屋が多かったようで、館山市のとなりの南房総市の富岡地区には「多々良」という交差点があります。道の駅には近隣の鍛冶屋が作った鍬が販売されていたりします。ところが、このお店は福井県の金物を扱っています。越前の金物はかつては、富山の薬売りのように、全国を行商してまわっていたそうです。そして、お客さんが多い土地を見つけて、そこに定住するということがあったそうです。南房総地域は金物を作っていた土地だけに、金物に関しての知識や見る目があったので高品質な金物が売れて、この地に店を開いたのではないでしょうか。太平洋岸の館山市なのですが、店の奥には北陸らしい大きな仏壇が置いてありました。少しだけ拝ませていただきました。
この日は、子どもが経営している農家の手伝いをした後にお店を開いたそうです。お子さんは、ビニールハウスで生花を作っているそうですが。9月の台風15号でビニールハウスが破壊され、ハウスの骨組みが再利用できなくなってしまったそうです。それから、新しい骨組みでハウスを再建したが、今度は台風19号が近づいたので、ハウスが壊れないようにビニールを外したは良いが、強風によって巻き上げられた海水によって今度は塩害にあったそうな。ガラスで作った温室はさらに大変で、ガラスがバリバリに割れて土に混ざってしまったので、全ての土を手作業でふるいにかけているのだそうな。そんなこんなで農家は大変です。
また、市が受け付けているボランティアは、農家には派遣できないらしいです。住宅の復旧が優先ということがあるのですが。事業である農業の復旧は、営利行為に関わる事ということで派遣ができないようです。そんなの農協がボランティアセンターを運営すりゃいいのにね。

富浦の作業所に向かう。手土産を買っていなかったのを思い出して、フェアトレード・チョコレートを購入。15分ほどで富浦作業所につく。

富浦作業所はNPO法人生活自立研究会が運営する障害者のはたらく就労支援施設です。手作りパン、びわ茶、野菜、さをり織り、房州うちわなどの生産を行っている。
岡本城址の南側にある作業所に着く。お昼用のパンの出荷が終わった感じ。ここのパンはお昼に人気があるそうで価格もリーズナブルでおいしいと評判だそうな。カツサンドをいただいたが、少し小ぶりで価格も抑えてあるのですが、意外と食べ応えがあります。近くの看護専門学校にも売りに出されているそうで、学生さんにちょうどいいと人気があるそうな。

建物の裏には野菜をつくるスペースがあるのですが、骨だけになった歪んだビニールハウスがあった。台風により原木栽培シイタケのビニールハウスが被害を受けたそうな。骨は曲がってしまい、かたちだけ直しても強度不足のため再利用ができないとのこと。シイタケができる原木は強風によって巻き上げられた海水の影響でダメになってしまったそうです。原木も手に入りにくいそうで、再び収穫できるようになるのは早くても来年の秋以降になるそうな。

台風で枯れてしまった岡本城址のビワ畑

別棟の一階ではビワ茶の生産を行っていました。ビワの葉を丁寧に洗い、カッティングして、乾燥させ、出来上がったお茶を真空パックにして出荷しています。道の駅とかで販売されたり。ふるさと納税の返礼品にも選ばれています。
この地域はビワの産地なのですが、台風の影響で倒木や塩害にあっているので今後が心配です。
作業所のすぐ近くの岡本城址もビワが植えられているのですが。岩盤の上なので土が少なく根が張れないのでビワが倒木によって枯れてしまって山が茶色くなってしまっています。

事務所のある建物の2階にはさをり織りの工房があります。エース級の3人の織り手さんがいて、それぞれ個性のある織りをしています。理事長さんがこの施設を運営しようとしたのは、さをり織りとの出会いも大きかったようです。
さをり織りは集中力が必要なのですが。さをり織りに限らずこの作業所では集中して仕事が出来るように45分働いたら15分休みという感じに休憩を多くとっています。休憩は多いのですが生産性は維持されていると思われます。だから、いろんな人が仕事に励めるます。

事務所から30メートルほど離れた所に、もう一つの作業場がある。
そこは、伝統工芸の伝承と福祉を融合した伝福連携事業として「房州うちわ」の作業場です。今回の台風15号で屋根に穴が開いてしまったのです。
「房州うちわ」は、日本三大うちわの一つといわれたもので、竹を40本以上に細かく裂いて骨組みをつくり。そこに和紙を張ったものです。一定以上のレベルになると判子が押されて認定品となります。道の駅などでは数千円のものが販売されていますが。一流の職人がつくると1本数十万円の値段がつくそうです。
伝統工芸の常ですが、職人の高齢化、後継者不足の問題があり。その後継者の担い手を福祉作業所と連携して育てようという試みがここで行われていました。

うちわの作業所は昭和48年に郵便局として建てられた建物だったのですが。人が住んでいない建物ということで、屋根にブルーシートを張る作業をあとまわしにされ。雨ざらしになってしまいました。つくりかけのうちわは全滅です。
台風から1か月後にようやく職人さんに応急処理とともにブルーシートを張ってもらったのですが。すでに中はびしょびしょになっていました。とはいえ、台風19号には間に合ったので、これ以上の被害は防げたそうです。
私が訪れたときは、天気が良かったので、部屋の中を乾かすために窓を全開にしてました。
再び作業ができるまでにまだ時間がかかりそうです。

「房州うちわ」の職人の中には、この台風をきっかけに廃業を決めた方もいるそうです。伝統工芸を守るために、いちはやく復旧する必要がありますが、まだまだ超えないといけないハードルがいくつもあるようです。
復旧の方針が決まり動き出したらサポートしたいと思いますので、そのときはみなさんよろしくお願いします。

少し御見苦しい私物がありますが。癒される風景です。

房州うちわの伝承がつづくことを願って 富浦作業所にバザーの収益金を渡して帰途に就きました。そのまえに、道の駅とみうら枇杷倶楽部に立ち寄りました。
屋根に穴が開いてしまっているのですが、営業していました。
バリケードに隠れがちなのですが、地下一階のカフェが営業ているのをみつけたのでコーヒーをいただきました。
ほっとしました。
カフェの方と少しお話もできました。
そのうち「被災地をつなぐさをり織り」を、この道の駅に飾りたいと思いました。

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