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被災地をつなぐさをり織り甲子園 その2 阪神淡路大震災25年目の日

被災地をつなぐさをり織り甲子園 その2 阪神淡路大震災25年目の日

阪神淡路大震災25年目の日に「被災地をつなぐさをり織りin甲子園」の2回目を実施しました。
天気予報は雨だったにもかかわらず。低気圧が南を通過してくれたおかげで最後まで雨が降らずに済みました。おかげで不利な立地にも限らずわかっているだけで50人の方が見に来てくれました。

展示作業

展示作業をしているとお散歩に来た保育園児が普段の公園と違うという事で保育士を引き連れて見に来てくれました。
11時スタートだったのですが、天気予報で午後から雨が降るということで、新聞で見たという方が午前中にどっと来ました。
見に来た方から、なんでここで展示しようと思ったのかを聞かれました。

ここで展示をする理由のひとつは、神戸以外で実施したかったということ。阪神淡路大震災は、神戸の長田区や淡路島のイメージがありますが、行政区単位では西宮市1100人以上犠牲者が出ていて神戸市東灘区の次に犠牲者が多いのです。ちなみに長田区は灘区に次いで4番目。人口当たりでは芦屋市の犠牲者も多い。犠牲者が多いからどうのという事ではないけど、あまりにも神戸の行事にメディアが集中してしまっていて、どこか遠い所のような感じがしてしまうからです。もっと身近なところで、ちょっと変わった震災の行事が出来たらという感じでしょうか。

つぎに、この地域は震災の被害があったのですが、人口の半分が震災の後に引っ越してきたか、生まれた人が住んでいます。そういうひとたちに、この地域でなにがあったのかを話せる機会を作りたかったからです。
実際、25年前の事なのに初めて知った事とかもありました。

今回の展示に限った話ではないのですが、展示をしていると全国に散らばった東日本大震災の被災者や関係者がそっと来場してくれます。兵庫県に居ながら宮城県の津波の話とかの話とかしていました。
被災地をつなぐというコンセプトだから、災害にあった故郷とつながる事が出来ます。

織物や繊維産業に関わっていたことのある人も来てくれました。
日本全国、特に関西はですが、かつては繊維産業など軽工業が盛んでした。産業は衰退してしまったのですが、織物ということで集まってきます。

なにか布が飾ってあるからと見に来て、今日が阪神淡路大震災25年目だったのを思い出す方も何人もいらっしゃいました。

作品を展示をする事で、話をする、思い出す、こころの奥底にしまっていたものをちょっと出してみる。今後もそういう機会を提供できたらと思います。

最後に、普段屋外に展示する事が出来ない西宮市立網引市民館に展示を許可いただいた、西宮市、網引市民館運営委員会の方、そして地域の方々、協力していただいたお店の方々に深く感謝いたします。

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