津波復興から生まれた ツナミクラフト

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SAORI for TSUNAMI THAILAND

ポーチ、財布、バッグ、人形など

タイ最大の津波避難キャンプがあったバンムアン村。一時は、4000 人近くの津波被災者が暮らしていて、いくつものものづくりを行うプロジェクトが実施されました。「さをり織り」はその代表的なプロジェクトです。
「さをり織り」とは、1968年に大阪の女性、城みさをさんが考案した、日本で生まれたアートワーク。型がなく、織り手の自由な感性で織り上げていくものです。織る作業には、傷ついた心を和らげる効果があります。
津波被災地にさをり織りをもたらしたのは、タイ在住の日本人住職アーチャン光男ガベサコー師。心のケアが目的が、やがてそれは織物を商品として売ることで、仕事をなくした被災者たちが自立するためのプロジェクトとなってゆきました。2007 年に日本政府からの支援を受け、「さをり研修センター」が建設され、現地の観光マップにも掲載されています。

マーヤーゴータミ財団のさをり織りプロジェクトは、2005年2月3日にバンムアンキャンプにて、アーチャン光男ガヴェサコー師と3人のボランティアにより、NGOが緊急支援で使ったテントを使って始まりました。
アーチャン光男ガヴェサコー師がさをり織りに着目したのは、チェンマイで行われていたさをり織りをみて、織る作業をすることで雑念を払い集中力を養う効果があるということで、お寺で受け入れている学生や社会人の研修生に使えるのではないかと考えたからです。
お寺への導入の約一年後、津波が発生しました。避難キャンプにいる被災者の言葉に耳を傾けたところ「仕事がしたい」ということで、お寺から10台の織機を持ち込みました。

その後、プロジェクトへの参加者の増えるとともに、テントは拡充され約30メートルほどになり。全部で7カ所の村、100人近くがさをり織りのプロジェクトに参加するようになりました。織機は日本から中古品が提供されました。

この事業が継続的に行えるとの判断のもと、24時間雨風との戦いのテントでは限界があるとのことで、在タイ日本大使館に資金提供を申し出、2007年2月にバンムアン村の役所の土地に「さをり研修センター」が完成しました。

2010年現在は、一部の事業所を集約し、2010年現在は、さをり研修センターで30名、全体で50名が従事しています。

津波のさをり織りが導入されるまで

1968年 大阪の城みさをさんがさをり織りを考案。
1989年 タイでさをり織りが初めて紹介される。
1995年1月 阪神淡路大震災。
1996年1月 SAORI神戸OPEN。被災者の心のケアと生き甲斐作りが目的。
1997年 バンコクで、アジア太平洋障害者の10年の会議が開かれ、さをり織りがタイで大きく取り上げられる。
1998年 バンコクで、国連ESCAPさをり展開催。
医療機関、障害者施設向けに、バンコクに「さをり」塾を開校、日本人専任講師が常駐。
2000年 タイ障害児財団をカウンターパートとするJICA開発パートナー事業を国際協力機構に提案し採択される。
2002年~2005年 タイ北部チェンマイにおいて「タイ国障害者創造活動と就労機会開発及び山岳民族の手紡ぎ糸ほか商品開発計画」実施。
2005年9月、プロジェクト終了後、ヒーリングファミリー財団が設立し事業が引き継がれる。
2003年頃 カンチャナブリーのスナンタナワラーム森林派寺院で研修生用にさをり織りが導入される。
2004年12月26日 スマトラ島沖地震によるインド洋大津波発生。
2005年2月3日 バンムアン村のタイ最大の避難キャンプ内で、さをり津波プロジェクトが始まる。その日のうちから織り始める。1ヶ月後、神戸より「はるかのひまわり」の種が届けられる。
2007年2月3日 バンムアン村に日本の外務省「草の根、人間の安全保障無償資金協力」により「さをり研修センター」完成。