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戦争の体験を聞く [2006年03月28日(Tue)]

戦争の体験を聞く [2006年03月28日(Tue)]

元特務機関員の中谷孝さん(85歳)が戦後初めて自らの戦争体験を公の場で語るということで、循環型社会に戦争はいらない」 ~80代、50代、20代が語る戦争体験と戦争観~という講演会に行ってきた。
この講演会は、ピースメディア塾の講師でジャーナリストの浅井久仁臣さん、戦争を知らない私たちが語り継いでいかなくては、と元日本兵の聞き取りを 一人で行い、その想いを被害にあった国の犠牲者の方々に届ける活動をする神直子さんなどが中心となり。戦争が終わって60年以上経ち、戦争体験者が亡くならないうちに、戦争体験を伝えようと開かれたものだ。
中谷さんは、中国で陸軍の特務機関員として働いていたそうだ。特務機関といっても、ジェームスボンドのような仕事ではなく、軍に属しているが、行政マンとして、当時、占領下であった地域の行政組織を機能させるような仕事だったそうだ。これって、立場や主体や目的が違うが、任務の内容的には、他国の法整備や行政の指導をしに行くという意味では、やってる仕事は、ODAの一環として支援活動としてJICAから派遣される行政のプロとあまり変わらない仕事をしていたと考えられる。
戦争は殺し合いで勝負を付けるだけではないレベルで、敵地を占領するという仕事があるということもあることを知り。戦争は総合力なのだということを知った気がした。
戦争に勝った後、どのように占領するかという組織が存在していたということは、戦争は単にやっつければいいというわけではなく、どのように占領するかも戦争のうちと考えて戦争をしていたということになる。日本は、侵略戦争をしていないという人がいるが、自国に都合の良い政府を作るように仕向けるという事がミッションに入っている限り、侵略戦争だということなのだろう。
とはいえ、陸軍に所属していたから、やはり、戦争の現場に遭遇したり、現場の事を見聞きしている。
たとえば、南京大虐殺だが、中谷さんは現場には居合わせていないのだが、捕虜の扱いに問題があったという指摘があった。当時の中国には、日本が捕虜を扱う施設が皆無だったそうで、同時に釈放はあまりしていない。残る選択肢は、逃亡するか、処分(殺す)のかの二つになるのだが、逃亡した捕虜も少ないということなので。かなりの人数が処分されていたそうだ。中谷さんも、捕虜の処分の現場に行かないかと誘われたことがあり、手伝いをしないかと言われたが断ったそうだ。どうも、この捕虜を処分するという習慣は、南京大虐殺の時から始まったようで、何万人もの捕虜の処分をしたために、その後の捕虜の扱いの基準が、変わってしまったそうなのだ。
戦争に行っていると、人を殺すのが当たり前になってしまうそうなのだが、それでも、人間性が残っているようで、南京大虐殺以降、攻める時には、総て包囲してして攻めるのではなく、逃げられる所を作ることにより、捕虜を減らす工夫をした作戦を採ったそうだ。もちろん、これは、捕虜収容施設がないからであるのだが、同時に無抵抗な人を目の前で殺しすぎることで隊員の士気を下げないようにしたという配慮があったのであろう。
朝鮮人の従軍慰安婦についての話しもあった。中谷さんは、従軍慰安婦を利用したことがなかったのだそうだが。あきらかに朝鮮人女性の慰安婦はいたそうで、あまり人気がなかったのだそうだ。理由は、無愛想だったからだそうだ。自らの意志で仕事をしていなかったために、仕事へのモチベーションが低く、兵隊が良いサービスを受けられなかったため、兵士には人気がなかったのだ。心を閉ざし、無口な状態だったと言うことで、強制的に連れてこられたという事を聞いた兵士はいなかったそうだが。よく、任意で行ったものであり、従軍慰安婦がいなかったという人がいるが、このような状況からすると、証言がないということで、事実がなかったと言い切ることはできないであろう。任意でなら、もっと仕事を楽しんでいるはずだ。
とはいえ、日本軍がやったのに「やってない」という事が喧伝されるケースもある反面、日本軍がやっていないことが、喧伝されているケースというのがあるという話しがあった。フィリピンなどで、戦争体験の記録をしていた方が、よく耳にすることに、日本の兵隊が、赤ちゃんを放り投げて、落ちてきた所を銃剣で刺して殺したという証言である。しかし、本人が目にしたのかと、聞くと「そういう事があったと聞いた」ということになるそうだ。でも、どこかで行われていた可能性は捨てきれない。そんなことで、その話しを中谷さんにしたところ、実は、当時、中国で、日本兵が赤ちゃんを銃剣で殺すことが書かれた張り紙やビラが大量にあったそうで。それと、全く同じ内容がフィリピンにあると知り驚いたとのことだ。
ここに、人の殺し合い意外の情報戦という戦争の側面がある。
日本軍と戦うために、自国に有利な情報を大量に流すと、それが、いつの間にか事実のようになり。それが、後世にまで伝わってしまうということなのだ。
つまり、ウソも100万回言えば本当になり、歴史になってしまうのだ。
中谷さんは、確かに、日本の兵士は、人をたくさん殺したし、あとから考えるとぞっとするほど、その時は人を殺すことが平気だったのだが、さすがに、そこまではいていないと言っていた。
戦争は、情報によっても、後世に悲劇や憎しみを作り出しているのだ。
それだけに、戦争の証言をなるべくたくさん集めて、それを検証してゆくことにより、ウソが事実にならないようにしないようにしないといけない。
いま、様々な戦争の証言を集めるプロジェクトが進行している。そして、戦争が終わってから60年以上経ち、人生の残り時間が少なくなってきたのだろうか、証言をしたいという人が続々と出てきているそうだ。おそらく、時間が経つことと、世の中の様子を見て、自分の体験の記憶を、そのまま棺桶に持って行けない事に気がついたからだと思う。
だが、残された時間が短いのに対し、その証言を記録する人が少ないのだそうだ。

たとえば、下記の団体などがある。
興味のある人は問い合わせてみて下さい。

戦場体験放映保存の会 http://www.notnet.jp/yoronsenjyohozonFrameset-01.htm

こちらでは、証言をする方と、記録を録る方の両方を募っているそうだ。

[CANPAN blog STILL ALIVE より]

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