半島地域の災害対応の困難さふさ
能登半島地震において、半島地域の災害対応の困難さをまたもや痛感することとなりました。
半島地域は陸路での経路がはため、交通手段が多重化されていないために、数か所道路が使えなくなるとまたたくまに孤立してしまう。通信ネットワークも道路沿いに幹線が通っているために、道路と同時に通信手段も失われてしまう。
そして、高度な医療が必用な人を搬送しようにも、建物の下敷きになり重機による救出が必用でも緊急車両も到達できず。救援物資を運ぼうとしても、道路が使えないと手運びになってしまう。
平成元年の台風15号19号による房総半島の先端にある南房総市及び館山市は被害が大きく観測機器や通信網が寸断されたため情報が県庁に届かず被害がないものと判断され対応が遅れたという事がありました。
また東日本大震災においては、牡鹿半島、唐桑半島など半島部で孤立する集落がありました。
それらの半島地域への災害救助の対策が不十分だということが、今回の能登半島地震で明確になったと思います。
半島地域は山と海が迫っていて広い土地がなく、過疎により学校等が統合されてしまっている地域も多いのですが。ヘリコプターによる輸送を考えると、校庭を確保した状態での廃校利用も防災拠点として使える可能性を持っています。
孤立した地域は、必ずしも悪いことばかりではなく、地域の人たちで避難所の運営をしているために。誰かに救援されるのを待っているような避難所より自立していて、人間らしさを失っていないケースが多いという実感があります。
たとえば、調理器具と食材など救援物資さえ届けたら、自分たちで調理してしまうので、わざわざ出張して炊き出しをする必要が無かったりします。
一方で支援がいっぱいとどいて、段ボールの高い壁が並んでいて怖い映像を繰り返し放送するテレビが付きっぱなしの避難所は、炊き出しが来たり、物資が届くと、ぞろぞろっと人が出てくるって感じで、人間らしさを失っている人が出てきているという感じでした。
また、孤立した地域は行政や地域による避難所がダメだと判断すると、避難所などを出て車中泊、ビニールハウスでの生活をするなど自助に動きます。
自助の問題は、公的支援の情報や物資が届かなくなることです。自主避難している人たちの情報は公的には把握することは困難です。
スマトラ島沖地震のインド洋大津波の時のタイの津波被災地では、自動車ではなくバイク文化だったために、自主避難している人の情報をバイクですれ違った人同士で共有して自主避難所にも救援物資が届くという事がありましたが。自動車ではこれはできません。
実際、能登半島地震の被災地では救援物資が届いても被災者に届かないということが起きています。
ですので、普段からコミュニティラジオを運用したり、社会教育などで地域のつながりを持つことで、孤立した中でも自分たちが動くことによって支援を受け慣れて失われがちな人間性を保ちつつ。公的支援の情報が共有される仕組みづくりが大切です。
この十数年、復興税を所得税を割り増しして払ってきたのですが、災害対策に本当に有効に使われてきたのか疑問に思う人もいるのではないかと思います。
たとえば、避難所と指定された場所ではプライバシーを守るための資材が備蓄されていないということです。備蓄が無くても早急に運ぶことが出来れば良い。それさえもないという感じです。
スマトラ島沖地震のインド洋大津波の時のタイの津波被災地では、避難所で雑魚寝は1.2日で、一週間以内に各家庭にテントが配布されています。また、仮設住宅の建設は津波から3日目から始まっています。
避難生活で場所を移ると、元の場所に戻れる人は限られた人となります。
にもかかわらず、誰も戻らない土地を守るために巨大な堤防を建築しました。
そのお金を使えば、何世帯のプライバシーの守れるテントを購入できるのでしょうか。
また、タイの赤十字の救援物資は、必要なものがあらかじめバックされていて、人数に合わせて配れば良いだけになっていますが。日本の救援物資は、セットになっていないので、現地で仕分けをしながら配布する必要があります。
孤立しやすい半島という地形での被災は、普段から備蓄と地域のつながりが重要となります。
被災者に少しでも行政による公助がダメだと思われると自助に走り、行政は被害状況、避難状況も把握できなくなり、正しい対策もできなくなります。
半島部など孤立する可能性のある地域は特にですが、あらかじめ、共助できるだけの備蓄をしておくことで、だれもが取り残されない防災になるのではないかと思います。
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