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関東大震災から100年

関東大震災から100年

1923年9月1日関東大震災が起き、それから100年が経過しました。

たくさんの人が家屋などの下敷きになり、火災で焼け、煽動による暴力で多くの命が亡くなるとともに、多くの人が焼け出されて生活の場を失いました。

その経験は、良い意味でも悪い意味でも現代まで影響を与えています。

たとえば、火災に強い都市計画と建築物です。
全てが実施されたわけではありませんが、本格的な近代的な都市計画が策定され。鉄筋コンクリートを使ったモダンな耐火建築が現れました。新宿区の四谷4丁目にある「四谷ひろば」もその建築物のひとつです。

職住の分離が本格化し、通勤の習慣が出来ました。
東京の都心は火災に遭ったため、郊外への居住が進みました。
埼玉県の浦和市など郊外の住宅地に住処を変えて、電車で都心に働きに出るというスタイルが出てきました。

避難民により文化の一部が関西に移転しました。
関東大震災はいろんな文化人や外国人などが関西に移り住むきっかけとなりました。
谷崎潤一郎などは有名ですね。
横浜も大きな被害を受けたのですが、当時、ロシア革命から逃げて来たドイツ人やロシア人が横浜に住んでいたのですが、着の身着のまま船に乗り神戸に避難しました。そして、神戸でパンやお菓子が発展するきっかけとなりました。
大阪も昭和の当初は関東大震災から避難してきた人や会社があったため日本で一番人口のある都市になりました。
今の日産のルーツの一つダットサンのDAT自動車も関東大震災から避難した技術者により大阪で創業し。震災後落ち着いて関東に戻り日産に吸収されます。そして、国産最初の量産の乗用車を製造することになります。
これらは、今の日本文化に大きな影響を与えています。

もちろん良くないこともたくさんあります。

例えば、外国人に対する差別問題です。
騒ぎに乗じて嘘の情報が流布されたために、多くの当時の日本の植民地の人が殺されました。その差別は現代でも続いています。

関東大震災後に仮設住宅が建設されたのですが。
その間取りは、風呂がついたぐらいで、基本的には現在の仮設住宅の間取りとさほど変わりがありません。100年もの間に生活のスタイルが変わり、新しい技術が開発され、木造がプレハブに代わりましたが、基本的には何も変わりません。
また、仮設住宅で長期間居住するという事も常態化しており。現在にも引き継がれています。
今、資料を探しているのですが、1964年の東京オリンピックの寸前まで関東大震災の仮設住宅があったというのを見たことがあります。つまりこれが事実なら40年近く木造の仮設住宅に住んでいたわけです。
香港で1953年12月25日に58000人が焼け出された火災では当初木造の仮設住宅が作られましたが、わりと早い時期にH型の鉄筋コンクリートの団地になり。1980年代ごろから高層アパートに代わり。さらに2000年前後に井桁型の超高層のマンションに置き換えられ。現在も新しい高層マンションへの立替が進んでいます。

この機会に100年の時が経過して。
日本の防災技術はどうなったのか、被災者の生活再建はどのように改善されたのか、心のケアや、災害時のようなときの情報の流し方、大きく報じることによって人間が悪い行動を起こさないようにする技術はどのように進化したのかです。
今は災害や非常事態に乗じて国民の判断を狂わせて本来必要のないものに大量の資金が流れ。本来必要な人のケアに使われる量よりはるかに多いということが起きています。

この機会に100年を振り返ってみてはいかがでしょうか。

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