大量に余った救援物資として送られた服や布などで人形をつくり、津波で運ばれてきた砂を入れ、被災者の仕事と収入をつくるプロジェクト。胸には復興へのスローガンが掲げられています。 津波の後、第三の津波と呼ばれる「救援物資が大量に押し寄せる」現象が起きました。避難キャンプには10メートルを超える衣服の山が出来ました。善意で贈られたものですし、送り返すにも処分するにも多額の費用がかかります。TSUNAMI VOLUNTEER CENTRE(TVC)では、その布に注目し人形作りを始めました。 5000個が生産されたそうで、ツナミクラフト(当時はアイデアイースト名義)で、約500個を日本国内に輸入・販売いたしました。 ・第二の津波は「海外から大量のボランティアが押し寄せた」こと。タイ南部はヨーロッパやオーストラリアなどの外国人観光客が津波の犠牲者となったことで世界的に有名になり、世界各国からタイ南部にボランティアが集まり復興支援が行われました。 |
コーカオ島でレストランを営んでいたプイさんは、津波で家と仕事を失い、従 業員たちとともに島を出て本土の避難キャンプに行きました。そこで、ろうけつ 染めと出会い技術を覚えました。ホテルやレストランで鍛えたリーダーシップとホ スピタリティを持つプイさんは、津波復興プロジェクトの製品を扱うアンテナショッ プ"Tsunami Craft Centre"を任されるようになり、そこでバティックの生産を 始めました。これがプイさん家のバティックです。 モダンなデザイン、さわやかな色使いが特徴でした。 "Tsunami Craft Centre"の閉鎖と伴いプロジェクトは休止しました。 プイさんはプーケットに近いところでレストランを始めています。レストランの内装 にはバティックと同じモチーフが使われています。 |