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熊本大学教職大学院情報教育研修会に参加してみた

熊本大学教職大学院情報教育研修会に参加してみた

なんやかんや言って、帰ってきても熊本面白い。
地域研究好きにはたまらない。

そんなことで、

国際フェアトレードデー2022in熊本でお会いした方のFBPを覗いていて、5月28日に面白そうな開かれた場の研修会があったので参加してみました。私は教職ではないが、社会教育士なので興味津々。

20年少し前、熊本大学は大学内のネットワークの利用について先進的な取り組みをしていたと話題になっていたことがあったが、それもあって覗いてみようと思った面もありました。

タイトルは「子供たちの可能性を引き出す2 〜クリエイティブな学びをつくる〜」

これって、さをり織りの目指している方向性と似ているやんと思い。申し込みボタンをぽちっとしてしまいました。

最初の前田先生の話を、私なりの超訳でまとめると。文科省の言う「GIGAスクール」の流れの中で、150年ティーチングばかりやっていた学校から、ICTツールを使った「現代の寺子屋」的な、それぞれの個性にあった創造的教育をとりもどす動きであり。同時に「ギガ」の上は「テラ」ということで、文科省のひとつか上を目指しているのかなと思いました。

面白かった。

まず、ハードウェア、ソフトウェア、人材においての障壁が格段に低くなっているということ。

1990年代にパソコン雑誌関係の仕事をやっていたので、コンピュータの教育利用研究会、教育利用に使う端末やらソフトウェア開発の会社とかに顔をだしていました。
当時は、ハイパーカードの活用から、5年3組問題、学校に電話回線が2回線しかないのでダイヤルアップ接続ができないインターネット接続問題、パソコンが使えるとばれるとただでさえ忙しい教師に山のように仕事が集中すので、教員がパソコンを使えることを隠しているという調査結果、売れているのはドリル型教育ソフト。そういう時代とは今は雲泥の差。

大学のある学科に一人一台のノートパソコンをと、大学のロゴをつけた大量のトラックボールつきのPower Bookを納品した時とは違って良い時代になりました。

ICT活用を教育の現場で隠さなくてよくなったのは本当に良いことです。

その後、海外向けり遠隔教育の仕事をしていましたが。普及せず。私が関わらなくて10年経ってから、コロナでいきなりブレイクで、手のひらを返したようにいきなり遠隔教育を始めて。この20年何やってたのと、げんなりしていたのですが。

この研修会で元気が出ました。

まず、国際フェアトレードデー2022in熊本は、超過密スケジュール兼人の何役でさらに滞在時間が短く、探索できなかった熊本の京町の話が出てきてラッキーって感じ。台地の形状とか熊本の街は面白い。

滞在中のホテルのあった水道町を通して都市としての水の在り方も興味がある。

京町での地域学習ま事例において。

一人一台の時代だからこそ、あえてグループでICT機器一台を使いまわすという、発想の逆転が良い感じ。同じ道具でも、人によって多様な使い方をするので、機械を共有することで使い方の学びあいができる。手書きのメモや、インタビューを通じて質問方法を考えるなど、多様な視点や記録方法が気づきが起きやすい仕掛けになっている。すべてではないが、事実質問のやり方に小学2年生で気が付いてしまうなんて、おそるべしです。中高が150年来の教育法が続いている中で忘れないでいてほしい。

記憶媒体のコストが下がったことで、すぐに消さなくて良くなったことで、学びの蓄積がやりやすくなり。その蓄積を編集の過程を通して反芻して学びを深め、気づきのログを残し、教員だけでなく自分自身の発達を確認でき。それが楽しさにつながる。

さらに共有しやすくなったことで、発表して評価される、そのことで、マズローの欲求5段階説という使い古された説の、自己実現の欲求に到達しやすくなった。

この経験が、ふたつのサイクルを生み出す。
1.もっと自由になるために、基礎を学ぶモチベーションになりうると思った。基礎力を高めてさらに探求を進めることでできる。
2.サイクル型プロジェクトになり、世代を超えて、学習を積み上げていくのに有効になったと感じました。

創造する仕組みである「さをり織りの4つのスローガン」と比較してみた。

さをり織りの4つのスローガンと対比するとなかなか興味深い。
下記が、さをり織りの4つのスローガンです。

 一、機械と人間の違いを考えよう

 一、思い切って冒険しよう

 一、キラキラと輝く目をもとう

 一、グループのみんなで学ぼう

この4つのスローガンは、タイでさをり織りに出会ったあとに知ったのですが、さをり織りだけでなく、広くグループ学習に使えるものだと私は捉えました。とても完成されたワークショップです。

これにプラスして、さをり織りは、傷を模様と捉えるという、失敗に寛容なところと、失敗して偶然できた絵柄を新しいテクニックとしてグループに共有する際に、自分の行動の観察と言語化や身体表現が必要になる。

これが、ICTを導入したグループ学習の現場と一致している面が多いと感じた。

脱線するが、言語化表現は、思考体系というか思考力を鍛えるトレーニングにもなっていて。
例えば、海外の日本語補習校とかを見ていると、母語が育たず、それが思考力の伸び悩みにつながり。子供たちは落第するなどでプライドを失い、そこに人を搾取する人が一見やさしい言葉で誘い込み犯罪に手を染めることもよくある。苦労することになる。
「鬼滅の刃」でいうと、鬼舞辻無惨や上弦の鬼に出会って鬼化するようなものです。体質に合わないとそのまま死にます。

さて、話は戻って

ICTを入れることで「一、機械と人間の違いを考えよう」ということができます。

よく、さをり織りでは「機械のマネはしない」という風に伝わっていますが。機械のように織ることにチャレンジするとこで人間というものを理解できる場合があります。
書道で楷書を正確に書いて書いて書き続けた結果最後に残るのがその人の個性だという話を聞いたことがあるけど。機械をまねちゃうことで「一、機械と人間の違いを考えよう」ということを痛感できます。

また、機織り機にしろコンピュータにしろ、表現をするために、「何が美しいか」という美意識や教養、哲学に向き合うとか。手の感覚など素材による感覚の違いを覚えたり、それがなぜ起きるのかを探求したりする。繊維の特性は、素材、製法によって変わってくるし。なぜ、この色に染まるのか。染まることと、塗ることの違いとか。美術だけでなく、理科も学ばないと、自由に作品がつくれない。
そして、美を探求するには、美術史、文化史、考古学、植物や自然などの観察も大切。
いままで作られた、美しくつくる方法論を学び、それを破壊することで生まれる美もある。

話が難しくなったから。次行ってみよう。

 一、思い切って冒険しよう

の部分は、さをり織りは傷を模様と捉えるということで、「一、思い切って冒険しよう」することができるが、ICTでは簡単に消すことができることで「一、思い切って冒険しよう」ということができるのが対照的で面白い。

共に失敗をおそれずチャレンジすることなのですが、そのやり方が対照的。とはいえ、ICTでは消すこともできる一方で、ログ(記録)を残すことができるので。なぜ失敗したのかの解析もできる。

つまり、簡単に消せるのは選択肢が増えたということです。

さをり織りの場合は基本消せません。一度、ほぐしてやり直すこともできますが面倒というのもありますが。
さをり織りのクリエイターの中には、その時のその瞬間の自分を大切にするために、あえて、失敗を残すことを実践されている方もいます。

織物が物理的な記憶媒体となり可視化される。そのことで、自分というものを理解していき、表現の芯というか、表現者の主体が明確になる。

つぎ、

 一、キラキラと輝く目をもとう

 一、グループのみんなで学ぼう

このあたりは、ICTを使った学習するグループとほとんど同じ。

これを50年前にすでに確立していたのがすごい。

また、さをり織りでよくやる失敗として「自由に織りなさい」と言われてどうして良いのかわからなくなってしまい。さらに「教えないで引き出す」という言葉にこだわりすぎて、放置状態になり、「一、キラキラと輝く目をもとう」というスローガンが実現できないケースがある。

今回の事例では、最初から自由にというと戸惑いアクションに移せないことから、一定の枠を与えたうえで自由に学習し表現する事例がありました。

ここは、ポイントだと思いました。

また、自由になるためには、基礎力を高める必要がある。

国際フェアトレードデー2022in熊本の若者の祭典に出演したパーカッションの方がまさにそうだった。

放置では基礎力が高まらない。音楽の専門教育によって高められたものだった。

余談だが、このパーカッションの方の前に出演したヒューマンビートボックスの方は、「もてたい」という理由で始めて、自分で書籍やビデオなどを見て試行錯誤して技術を身に着けた。そして自由に表現できるようになった。これは、すばらしい。こういうの好きです。

アウトサイダーアートという、専門教育を受けない人のアートの分野があるが。それの一部に該当するかもしれない。

アウトサイダーアートには、さらに、体系づけられた専門教育は受けていないが、最初は偶然だったかもしれないが、楽しくて、いや、楽しくなくても心の中のものを吐き出す行為を繰り返すなかでその人なりの技能が身につき。アーティストになっていくものがある。

たとえば、死刑囚のアート作品なんか、楽しくなくても心の中のものを吐き出す行為を繰り返すなかでその人なりの技能が身につき。アーティストになっていく。

さて、今日の研修会の話に戻って。

グループにわかれてディスカッションをしているときに、ある先生が、数千円の手軽な電子顕微鏡の話をして。物欲が湧いてしまった。

今度、タイのスタディツアーに行くとき持っていきたいなと思いました。地域学習にはミクロの視点も大切。

以前、猫や犬の目の高さで街を撮影し観察するということをやったことがあるが。今度は虫や小魚の視点です。

それで、アマゾンの奥地を探検していたら。数千円で買える、下水のチェック用の先端にライトのケーブルつきのカメラを発見。カニの穴なのか、砂虫の穴なのか、貝の穴なのかを、手を突っ込んで危険な思いをせずに探索できるので楽しみが増えました。

ワクワクするぞ。

好き放題に書いた雑文でしたとさ。

企画された先生方、参加された先生方ありがとうございます。

福井大学の「省察」をキーワードにした実践も面白いけど、こちらも面白い。

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