パンガー県の特別支援教育センター訪問 この10年で一気に広がったタイの特別支援教育とさをり織り

半年ぶりにタクアパの旧市街地の近くにあるパンガー県特別支援教育センターに行ってきました。
タイの特別支援教育はこの10年で実感しました。

去年の8月にも、この特別支援教育センターに行ったのですが。いろいろと校舎の建設中でした。
今回、そのいくつかが完成してしました。
さをり織りの専用教室も出来ていて、タイ国内でライセンス生産された3台のさをり織り機が置いてありました。既に何人かさをり織りを織れる生徒もいて、今回少し織っているところを見せていただきました。

校庭ではなにかイベントの準備をしているなあと思い、聞いてみると2月13日に有名な歌手を呼んできてチャリティコンサートなどを開いて、建設資金や運営資金を募るということなんだそうです。

そういえば、なんか既視感があるなぁと思って思い出したのが、2012年6月に訪問したタイ中部のロッブリーの特別支援教育センターでした。
さをり織りのセンターを開設して本格的に取り組むということで、さをりひろばの城英二代表理事らと ロッブリーを訪れたのですが。その時、大きな式典を開いて、地域の方から建設資金や運営資金を募っていました。
ロッブリーには、エイズを発症した方のためのホスピスを持っている有名なお寺があって、そのご住職が式典に参列されていました。そこでご住職が「お寺にはこの学校を支援するのに十分なお金がある。それを使うのは簡単だ。それを使うのではなく、みなさんの手でこの学校を支える事が大切だ」というようなことをおっしゃっていました。
それから8年経って、パンガー県でも同様のことが行われている。モデルケースを作って一般化するということが行われていることがわかりました。

2012年のロッブリーでは、2002年から2005年までタイ北部のチェンマイで実施されたJICAプロジェクトの時にタイに届けられた古いさをり織り機と。古い織り機をコピーして作った織り機があった。JICAで作ったタイ語でのさをり織りの教科書があり。プロジェクトが終わってサポートがなくなってもさをり織りを続けていたようでした。
これは、実は珍しいことで。JICAなどの二国間支援のプロジェクトの支援が終わったら続かない事が多いのですが。津波被災者のさをりプロジェクトとともにタイ国内で継続して活動が行われていたのです。
厳密に言うと途切れかけていたのですが、日本に行さをり織りに注目したタイの方がいて力を入れ始めたのです。それがロッブリーのスージン先生だったのです。
さをりひろばには、海外の方に日本でさをり織りの研修をする制度があるのですが。2011年にタイのロッブリーから応募があって、タイ中部でさをり織りが続いているとわかりました。
その後、さをり織りをタイ全体に広める活動と共に、タイ国内でさをり織りの織り機のライセンス生産が始まりました。

パンガー県の特別支援教育センターに行くきっかけは、2019年1月にアユタヤで開催された研修会で、パンガー県の職員と出会ったからでした。この研修会には、タイ全ての76都県から参加者が集まっていました。
ちなみに、ロッブリーの開所式と同時に開かれた研修会には14ヶ所から集まっていると聞いていたので、7年で一気に全国化したという感じです。

実はロッブリーの開所式の2年前の2009年2月にプーケット県にある特別支援学校に行ったことがあるのですが。その頃は、このような施設はタイ国内に6つしかないと聞いたのですが、10年間で一気に全国ネットワークになりました。しかもすべてにさをり織りが導入されている。驚きました。

さて、このプーケットの特別支援学校にさをりの織り機があったのですが。
これは、マーヤーゴータミ財団の津波プロジェクトの一環としてプーケットの特別支援学校にさをり織りを導入したからです。
プーケットの特別支援学校 で活動していることを知ったのは、2007年2月のパンガー県タクアパー郡バンムアンに、津波被災者のための「さをり研修センター」の開所式に行ったときに。津波プロジェクトは、バンムアンを含めてパンガー県とプーケット県の7ヶ所で実施していると言っていたからでした。
しかも、仏教僧の発案したプロジェクトにも関わらず。イスラム教徒も関わっていたので、山田行使(当時)がこんなこと初めて見たと驚いていました。さをり織りのあるタイ人ボランティアスタッフは、イスラム教徒の所にさをり織りを拡げるのに当初抵抗があったそうですが、当時の住職光男ガヴェサコー師が、信仰が違っていても働きたいと思っている津波被災者がいるからと、織り機を持っていろんな避難キャンプに行って活動を拡げたそうです。
開所式では、仏事をするときは、イスラム教徒の方が退席するなど、それぞれの信仰を大切にする配慮が行われていました。

タイの津波被災地の復興が進み、仮設住宅などの避難キャンプは2年で解消されたのと、広いさをり研修センターが出来た事で、2009年にはバンムアンのさをりセンターとクラブリ郊外のバントリアム、プーケットの特別支援学校の3か所に集約されました。
プーケットの特別支援学校では、さをり織りの布を式典のデコレーションにしたり、一部グッズにしていました。しかし、2012年ごろには、さをり織りを教える事が出来る職員が退職したり、機織りに適していない低品質の糸を使い、しかも糸が絡まってぐちゃぐちゃになり手が付けられない状態になっていたりと、さをり織りの活動が停滞気味になっていました。
今は、おそらくパンガー県特別支援教育センターと同様の体制になっているものだと思われます。

さて、クラブリ郊外のバントリアム村のさをり織りですが、以前から草木染の製品を発注していたパクトリアム村を2011年9月に地球環境財団の調査団と訪問した時、バントリアム村のさをり織りチームとメンバーが重なっていたことが発覚。いやあ、世間が狭いなあと思ったのですが。
今回、訪問してまたバントリアム村でつながりが発覚しました。
バントリアム村でさをりをしていた方の一人が、パンガー県特別支援教育センターのクラブリ郡の支部の仕事の一部を手伝っていて、 パンガー県特別支援教育センターでのさをり織りの導入についてよく知っていたのです。
光男ガヴェサコー師の還俗以降、パンガー県のさをり織り全体の販売量が減ったため、 バントリアム村でのさをり織りの活動が休止しています。今回、しばらくぶりに織り機を持っていったら、見事な織りっぷりを披露してくれました。このスキルがもしかして生きるかもしれないと思いました。

パンガー県の特別支援教育センターとバントリアム村を訪問して、タイ国内での特別支援教育の拠点が増えて通いやすくなりつつあることと。さをり織りがノウハウを共有しながら着実にタイ全土に広がっていること。地域に埋もれた力がまだまだあると感じました。
同時に、年一回の全国研修では足りないものがあって、それをタイ全土でさをり織りを学ぶ現場に対してどのようにフォローするかという問題があることがわかりました。