『天気の子』見て来た

新海誠監督の『天気の子』を見てきました。
前作の『君の名は。』は、驚異的な大ヒットと長期ロングラン上映になったのですが、その次の作品という事で注目されていた作品です。1週目、2週目と週末の興行収入ランキングが一位だそうです。

今回の作品のあらすじは、伊豆諸島から東京に出て来た家出少年が、船で出会った男が経営する零細編集プロダクションに転がり込み、オカルト雑誌の取材活動を始める。取材活動の中で「100%晴れ女」という少女出会う。少年は長雨の異常気象が続く東京でこの少女と天気を変えるビジネスを始める。しかし、天気を変える能力と引き換えに少女は透明になっていくという現象が起きていた・・・・って感じでしょうか。(ネタバレしない範囲で)

いろんな楽しみ方のできる作品なので、あくまでもわたしが感心したポイントを書きたいと思います。
#以下ネタバレがある可能性があります。ネタバレが嫌な人は映画を見てから読んでください。

それは、『君の名は。』で描かれていなかったところを補完する要素のある作品だと感じた事です。だから、東日本大震災から8年目に公開する意味があったのでは? もしくは、このストーリーではなかったかもしれないが、震災から8年目のための作品の構想は既に『君の名は。』の制作過程で考えられていたのかもしれない。

『君の名は。』は、ぶっちゃけな話、古くからのしきたりとかにうんざりしていた都会に憧れていた田舎の女の子が、タイムリープと入れ替わりで東京生活をエンジョイしちゃった。その田舎の町に彗星が落ちたけど神がかりな事が起きて助かった。結局彗星が落ちて破壊された田舎の村には住めず東京に出てきちゃいました。そしてあの神がかった出来事から5年後というか8年後に入れ替わった相手と東京で出会っちゃいました。めでたしめでたしって感じの話でした。

『君の名は。』は、東日本大震災から5年後。『天気の子』は東日本大震災から8年後の公開になるのですけど。これが『君の名は。』の彗星の衝突から時間と重なっているのがポイントかなと思っています。

上記のぶっちゃけあらすじは、『君の名は。』の2人の主人公のうち女性の方から書いた話ですが。『君の名は。』は、基本的に男性の主人公の時間軸で話が進んでいて。彗星が衝突してからの5年間の話は男性側からの描写のみです。

今回の『天気の子』は、『君の名は。』の女性の主人公が、『君の名は。』本編で描かれていない8年間に起きたことを、 全く別の登場人物が全く違う 物語を通じて伝えたのではないかと感じました。つまり、『天気の子』は『君の名は。』を補う要素を持つ作品なのでは?

『天気の子』では、家出の理由は語られてませんが少年は何も当てがないのに東京に来てしまった人。少女は家族を失った人。編集プロダクションの社長はなかなか家族に会えない人。ということで、大規模災害によって都会に出てくる事になってしまった若者。家族を失った人。災害によって家族がなかなか会えなくなった人という、東日本大震災など大規模な災害で発生する被災者の姿に重なる面もあります。

『君の名は。』 は、新海誠監督の作品らしくとても美しく描かれていて。うんざりしていたしきたりも、カフェもなく退屈な田舎も美しく表現されていました。憧れていた東京もとてもキラキラしたもので、映像にもキラキラした東京が描かれていました。

そして、災害が起きて、その 5年後というか8年後 にやっと会えたという形でちゃんちゃんと終わります。

それに、対して『天気の子』での東京は、ゴミが散らかり、廃墟があり、天気も雨続き、チンピラはいるし、お金ないし、 シルベスター・スタローンの『ランボー』の一作目のようになぜか犯罪に巻き込まれてお尋ね者になっちゃうし・・・と負の面が表現されてます。とはいえ、それでも美しく描いている。

これは、何かが理由でセーフティネットを失ったときなどに出てくる問題点でもあります。
そんなことがあっても、それなりに楽しい事もあったりします。困った者同士が集まり補い合う事もあります。このあたりも、チキンラーメンとポテトチップスで作った食事が妙においしそうとかで表現されています。人によっては出会いがあり恋が進展する事もあるでしょう。

作品中では語られていませんが、おそらく、 『君の名は。』の女性の主人公 の8年間はそんな暮らしだったのかもしれません。
そんな中、忘れゆく夢の中での素晴らしいキラキラした思い出がよみがえったから 、8年後の再会の時の表情が出てくる。

ちなみに、 『君の名は。』の 男性の主人公の5年間は、ドナー側つまり支援するなどで被災地に関わった人の立場です。こちらについては、作品中にどのようなことが起きたかが描かれています。
被災地となんらかの繋がりをもった人は、被災地との繋がりを持たない人との温度差に愕然とすることが多々あります。その辺りの事が描かれた作品は珍しいので『君の名は。』は貴重な作品だと思います。
そして、東日本大震災から5年目に『君の名は。』は公開されるわけですが。この作品を通して、ドナー側の人が5年前の被災地と再会する。

『君の名は。』の女性の主人公 の方に話を戻すと、映画は彗星衝突から8年後に再会をした所で終わります。おそらく、再会を果たしたからといって、彼女が経験したいろんな問題はあまり解決しないと思われます。新しい関係からいろいろ良くなる事もあるだろうけど、決して戻って来ないものもある。

この女性の主人公の8年や再開後の事を『君の名は。』の中に盛り込んでしまうと、ただでさえこれでもかと盛り込んでいる作品がキャパシティオーバーになってしまいエンターテイメントとして成立しなくなる。もしくは説明過多で野暮になる。だから、作品からバッサリと切り取ってしまったのだと思います。

女性の主人公の立場からすると、これらは見せたくない姿とも言えます。

作品としてはこれでまとまって良いとはいえ、被災者という当事者の視点が弱いままというのがあったかもしれない。それが『天気の子』の作品背景にあるのかも。

『天気の子』の主要キャラは、ほとんどがなんらかの当事者です。なので『君の名は。』で抜けていた当事者からの視点を埋める作品でもあるのかと思います。
『天気の子』には『君の名は。』で出て来たキャラが隠れ出演しています。東京の片隅にひっそりと住んでいる被災者の表現と共に、この作品は当事者が主体の作品であるという事なのかもしれない。『君の名は。』に出てくる年上の女性が『天気の子』に隠れ出演していないのではという噂がありますが。年上の女性は隕石衝突の当事者ではない。だから出ていないのではと疑っています。

当事者だから、当事者だったからこそできるやさしさみたいなものが表現されるエピソードが『天気の子』には随所にある。わかりやすい所では『君の名は。』と『天気の子』のそれぞれのヒロインが仕事中に主人公の男の子に対して行う対になっているエピソードです。

昨今は災害が多いのですけど、災害に限らず、なにかのトラブルの当事者になってしまうことがあります。というか、実は世の中の全ての人が何かのトラブルの当事者です。いろいろあるけど、当事者だからこそやさしくなれる。相手の事を思いやれる。

『天気の子』では、世の中は狂ったまま何も変わらない。
狂ったものを正そうとすると、人身御供が出るという残酷な世界観がある。

狂った世界を受け入れたうえで、どう幸せをつくりあげるかというのが『天使の子』が、いまの時代を生きる人にあてたメッセージなのかなと感じました。

狂った世界を受け入れるということは、長いものに巻かれろという意味ではなく、現実を受けいれつつも、どのようにすれば幸せに暮らせるだろうかを常識にとらわれることなく考え、取り組むこと。 それは当事者中心に相手を思いやり信頼できる人と手をとりあうことで出来るかもしれない。と勝手に解釈させていただきました。

『君の名は。』のようにダイレクトではないですが、『天気の子』には震災から8年目のメッセージが含まれているのかなと。これは『君の名は。』の企画段階から考えていたことかも。

新海誠監督の真意はどうなんだろうか。

※『君の名は。』についての記事 いまさらですが『君の名は。』