香港の災害の歴史を残す工夫

いま、香港で被災地をつなぐさをり織りを実施していますが。その会場となるジョッキークラブアートセンターへ、MTRという香港の地下鉄の深水埗駅から歩いていくときに、街の様子がどこかおかしいと気が付いた。

いかにも、香港の下町という感じのところから、いきなり高層マンションの建つ場所変わったのです。
高層マンションとはいえ、日本のタワーマンションや、アシアの都市のコンドミニアムのように高級なわけでもない。
なぜ、下町の隣に広大な高層団地街があるのは非常に不自然だと感じた。

建物には団地のイラストが描かれている。

今回のイベントを共同主催している、社區文化發展中心(cccd) のMokさんに、さをり織りのポップアップショップに案内してもらう途中にそのなぞが解けた。

展示会場を含め、この場所は1953年12月25日に5万人が焼け出された「石硤尾大火」の現場だったのです。

第二次世界大戦後、中国の中では南北戦争が起きたため。戦争を避けるために、当時イギリス領だった香港に大量の難民が押し寄せた。当時の香港の行政は、戦争が終われば元の場所に戻ると考え、特に難民のための住宅の建設をしなかった。

しかし、戦争が終わっても難民は元の地域に戻らず。人々は、香港の各地に木造とトタン屋根のいわゆるバラック建ての建物を作り出した。これらの場所は、木造のうえに、道が狭く。一度火事が起きると、多くの家に延焼し大火となった。

その大火の代表格の一つが「石硤尾大火」でした。
1953年12月25日の夜に一軒の家の不注意により火事が発生し。火事はすぐに消し止められることなく、隣の家、隣の家と延焼していった。しかも、道が狭く、消防車が入れず消火活動ができないだけでなく、延焼のスピードが加速した。炎はまる一日収まらず。5万人が焼け出されることとなった。

避難民のキャンプができた後。政府は、仮設住宅を作ったが、それでも人が住む場所が足りないために、コンクリートで作った復興団地を作った。
しかし、この復興団地は、部屋は確保されているものの、共同調理場、共同トイレで、屋上に屋根のない学校があるという、決して住みよい環境ではなかった。

当時の暮らしのイラスト

建物と建物の間で将棋や麻雀をしたり、簡易的なお店が出来たりしたが、必ずしも安全で衛生的な暮らしではなかった。もちろんエレベーターもない。

そこで、さらに新しい住宅に作り替えることになり。今の街の姿になった。
通風なども考慮したつくりになっている。

この町では、この地域の歴史を後世に伝える努力をしている。
街のいたるところに過去にここで何があったのかを伝える看板がある。

また、新しい建物には、住環境が良くなかった時代の写真を、まるで装飾のようにガラス張りのエレベーターのガラスにラッピングされている。

また、建物の一角には、子どもにもわかるように、親しみやすいキャラクターを使ったパネル展示ブースがある。

イラストやモニュメント、装飾など、表現の力を使って、ここで何が起きて、その災害からどのように復活してきたかということをわかりやすく表現している。

この事実を知ってしまったからには、香港の「石硤尾大火」のあった地域で、縦糸を作るワークショップを実施するしかないと思い。企画を急遽立案し、社區文化發展中心(cccd) に提案したところ、企画を受け入れてくれました。

10月8日に香港のたて糸をつくるワークショップを実施します。
そのためには、10月2日3日のあいだに、岩手で作ったたて糸を織りきらないといけません。
香港のたて糸をもって日本に持ち帰ります。

この展示会は、日本秋祭in香港に採択されたので、ぜひ参加してください。


ご案内は、こちらへ。

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