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『すずめの戸締まり』見てきました

『すずめの戸締まり』見てきました

深海誠の『すずめの戸締まり』を見に行ってきました。

2022年11月11日に公開とその前の最初の何分間の映像公開から、ツナミクラフトのWebサイトのアクセスが普段の1.5倍から2倍になっているので、やっぱり見に行かないとと思い見に行きました。

いわゆるロードムービーなんですが、災害などトラウマ的なストレスの状況からの回復プロセスを意識した作品だと感じました。

心を閉じるのか、心に仕舞うのか。
この二つは、他人に話さないという事でも大きく違う。そこがこの映画のカギとなる。

心を閉じていると、それさえも忘れてしまうことがあり。同時に、こころを開いたことも忘れてしまう。
時間が経過し、事実に向き合うこと、人と出会う事で、開けて、仕舞って、戸締りができる。

細かいところだけど、終盤のあたりの、帰宅困難区域のバリケードや高い堤防で海が見えなくなっている道など、現状をちゃんと描いている。
災害から時間が経過して、次の災害が起きたらそちらが報道されて、関心が低くなり、その日がくると当時の映像が繰り返されるけど。今の事が報じられない場所の現状をぬかりなく描いている。
縁がない限り現地に足を運ぶことがないと見ることがない景色を、アニメ映画作品に入れ込むことで、縁を作ろうとしているようにも感じています。

12年という時が経過したという設定なので、映画公開時点では近未来の話というのもにくいところ。
まあ、そのころには、熱海付近の185系や丸の内線の02系は走っていないと思われますし。中央線快速にはグリーン車が連結されているという細かいことは置いておいて。

この作品には、多様な家族構成が出てくる。
家族経営の旅館、シングルマザー、姪っ子を育てる独身女性、祖父は自宅近くの病院にいるけどなぜか一人暮らしをしている特別な家系の男性など。なぜそうなのかは、姪っ子を育てる独身女性以外は劇中では明かされない。明かさないけど、背景にいろいろあることは感じる。だからこそ、つながることができる。このあたりを見えるようで見せないのが流石です。

この作品の中で、いろんな人が出会って、つながりを作っていく。つながりなおしていく。
そして、心の中に隠していたものを開きつつ、それを大切に仕舞い直すことができる。
これは、ひとつの心の回復プロセスのルート。

心の回復プロセスは、心の傷がそれぞれ違うのと同じように、それぞれ違う。
ですが、どのように回復したのかの一例を知ることが、心の回復のきっかけになる場合がある。

SNS等で「トラウマのある人にはあまり見ない方が・・・」という評判もありますが。
確かに恐ろしい経験を思い出す人が多そうな演出がある。
でもそれは、縁を大切にしてつながりなおしていくことにより、死という恐怖の体験をしてしまった人の「こころの回復プロセスを作品を通じて体験する」ため、多くの人に思い出してもらうことが必要で入れた演出で。新海誠監督が仕組んだ仕掛けなんじゃないかなと感じました。

そう考えると、表現方法は違いますが、ツナミクラフトが普段からの活動で行っている、被災地や被災者の成功体験の共有に近いものがあるのではないかと感じました。

それぞれの地域で何があっても背筋を伸ばして生きるたて糸の人もいれば。
たて糸の間を移動しながら張っていくよこ糸の人もいて、
シャトルはいったり来たりして同じ場所で交わる
たて糸は交差して綾を作り、開いたり閉じたりして、入れ替わることでよこいとを締める
そして、トントンと叩いて織り重ねていくことで布が出来ていく
布は歴史で、糸が切れたら結べばいいし、
糸が足りなくなったら継ぎ足せばよい。

布はいまでこそ普通にある
紀元前8000年からある。
織りの技術については、一部の人しか知らない。
土木技術にしろ、織りの生産技術にしろ、技術の発展により、いままで常に戦っていたことが見えなくなり、あたりまえになっている。
当たり前にあるからこそ、継承されない危機に面しているのが織りの技術だったりします。
大地とのつながりは、かつては身近に感じていた。
そして大地に常に敬意を示しつづけた。
それを人が忘れているのではないかというのが、この作品のテーマかもしれない。

そう考えると
震災から少ししてから始まった被災地をつなぐさをり織りと何かいろいろ重なる。

そして、スタート地点の一つが岩手県山田町でした。

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