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タイと日本との津波からの復興の違い(6)  住民に寄り添った支援(後編)

タイと日本との津波からの復興の違い(6)  住民に寄り添った支援(後編)

この夏のスタディツアーのPRのため最近ラジオへの出演が多いのですが。そこで興味深く聞かれるのは、タイと日本との復興の違いについてです。そこで、何回か連載でその復興の違いについて触れてみようと思います。今回は「住民に寄り添った支援(後編)」です。

前編では、住民に寄り添う医療チームの話、中編では、伝統や信仰に基づく心のケアの話をしました。今回は、コミュニティ開発の話です。

タイは住民主体について力を入れている

タイは1997年憲法以来、住民主体の政治手法を促進しています。政権が変わり憲法が変わっても、軍事政権になり憲法が停止しても、その方針は変わっていません。それは、国民に支持されているからです。
内務省には地方行政を推進する部署が出来、住民が主体になるように促す人材の育成をし全国の各県に配置するなどをしていました。内務省以外の省庁でも取り組んでいて、例えばタイ版の一村一品運動OTOPもその流れにあるものです。

世界的なサスティナブルへの潮流

また、1990年代以降、国連が中心となった世界的な潮流として住民のオーナシップを大切にした持続可能な世界への流れがあります。人間の安全保障、ピコ太郎の動画で話題のSDGs、ESDなどがそうです。
そうした流れの中、タイの津波被災地には、タイの国内外からいろんな立場のサスティナブルな社会を目指すコーディネーター、モデレーターなどが入り込みました。

 復興住宅街 撮影 志葉玲

暮らしを守るサスティナブルな支援活動と環境教育

住民に寄り添った支援策を行うにあたり、住民の住む地域の点検や、そこにある生物や植物などの環境についての学習などを進めるなどを行いました。その結果、地域の誇りや財産がなになのかが住民に共有されました。環境と暮らしを守る復興が行われました。復興住宅は丈夫なコンクリートを併用しつつも、住民が昔より慣れ親しんだ壁材を使うことで、快適性と安心感を得た例もあります。
マングローブなど自然を守ることが、稚魚を育て魚が獲れることにつながるなど、自分たちの生活を豊かにするという知識を共有し。マングローブの保全や植林などを実施し、そのマングローブが地域の誇りとなってゆきました。
支援活動と環境教育を行う事で地域の誇りを作ってゆきました。

そんな、環境と暮らしを守りサスティナブルな支援活動の集大成として、それらが組み合わさりホームステイプログラムとなった事例もあります。地域のリアルな暮らし、地域の誇り、自然環境が地域の新しい収入源となったのです。

 マングローブ探検のようす

地域の誇りを大切にしたツーリズム

ツナミクラフトのスタディツアーのパートナーであるアンダマンディスカバリーズ社は、NATR”North Andaman Tsunami Relief”という津波被災者たちの支援団体を起源とするコミュニティ・ベースド・ツーリズムの旅行会社です。
アンダマンディスカバリーズ社は、パンガー県北部を中心に10以上の村落の住民主体の支援を行いつつ、コミュニティ・ベースド・ツーリズムを推進しています。その中でも厳選したホームステイプログラムをツナミクラフトのスタディツアーとしています。
コミュニティ・ベースド・ツーリズムは、地域の誇りを大切にしたツーリズム。地域のくらしそのものを体験することで、一般のマスツーリズムでは体験できない特別な体験ができます。それを維持するためには様々な工夫があります。たとえば、ブリーフィングをきっちりすることで、来訪者によるトラブルを防ぎお互いに友好的な関係を築くようにします。受け入れ側のトレーニングも念入りに実施しています。
このようなことで、ローカルなイスラム教徒の村や少数民族の村へのホームステイが可能となります。ある町は人口300人の村に年間300組のホームステイ客が訪れ新しい町の収入となっています。
金額が大きくなると、いざこざが起きることがありますが。ホームステイを受け入れたり、アクティビティを実施した家だけが儲かるのではなく、代金の一部を村全体に役立つお金とし、話し合いのうえで、ごみ箱の設置とか街灯の整備、環境保全事業などに使用しトラブルを防いでいます。

 屋根づくりワークショップ

 コスプレ

以前の記事は長過ぎて、途中で読まない人が出て来たので、今回はいろいろ端折って書きましたが。タイの津波被災地は、1990年代以降の住民が主体となったサスティナブルな社会への流れに沿った復旧、復興をしています。
それに比べると、東日本大震災の被災地は、それ以前のトレンドに沿った復興のイメージです。それは、良い意味でも、悪い意味でも、1993年の北海道南西沖地震における奥尻島や1995年の阪神淡路大震災の経験に基づいた復興が行われた面もあると考えています。
ただ、スマトラ島沖地震後に注目された日本の津波対策ですが、東日本大震災でことごとく破られました。それなのに、さらに強化した形で復旧・復興をしている所が多いように感じます。
そのことについては、次回「堤防のない復興」についてで書きます。

ここに書かれていることを、実際に現地に行ってなぜそうなったかを体験してもらいたいと思います。スタディツアーの申し込みはこちら。20日までになるべくお申し込みください。まずはお問い合わせを。

 

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