東日本大震災11年 津波の記憶を作品作りで未来に繋ぐ タイの子供たちの成長と東日本大震災被災地へ祈り
この記事は「アートはみんなのもの」のクラウドファンディング用に書いた原稿を改稿したものです。
東日本大震災から11年が経ちました。 2004年のインド洋大津波が襲ったタイ南部の児童養護施設の子供たちと、タイの国際津波ミュージアムで2018年3月11日に東日本大震災の慰霊祭を発生時刻に合わせて実施した時の写真です。 背景にある船は、津波で海岸から2キロ近く流された護衛艦で、今のタイの王様の甥っ子にあたる方の護衛任務の船だったのですが。津波で流されたうえ、王様の甥は津波の犠牲者となりました。そういうこともあって、タイ人にとって、津波といえばこの船をイメージするとこにに、パンガー県の許可を得て展示しました。 今回、あえて、東北(本当は茨城や千葉も被害が大きかった)の話ではなく、タイの事例を通して、様々な災害においてアートの持つ力について簡単に紹介したいと思います。 それでは、この子供たちの暮らす児童養護施設やタイの子供たちのアートを使った津波からの心のケアについて少し振り返ってみましょう。 スマトラ島沖地震の津波の心のケアをアートで行う 児童養護施設「バーンターンナムチャイ」は、スマトラ島沖地震をきっかけにできた児童養護施設です。タイ南部パンガー県には、最大18メートルの津波が襲い、たくさんの犠牲者が出ました。約3000人が集まる避難所には、たくさんの家族を失った子供たちもいました。そういう子供たちに対して、バンコクのスラムの問題を解決してきた団体などがやってきて、子供たちの生活や心のケアを行いました。 子どもたちの心のケアにはアートはとても重要です。 作品をつくることで、集中することでつらい気持ちを忘れる時間が出来たり。逆につらい心を外に出したりすることができます。 津波を体験した子供たちの作品 2007年2月撮影 アートで心のケアをした足跡 2007年2月撮影 将来の夢を描くワークショップ 2007年2月 仮設住宅の集会所で絵を描くワークショップををする子供たち 2007年2月 津波から4年後、東京の画工の先生とともに児童養護施設で絵を描くワークショップ 2009年3月 子どもたちの描く絵を観察していると、最初は特定の色のクレパスの減りが早かったり、自分が表現できず定型的な絵を描く子供が多かった。 津波から2年ぐらいして、津波当日の絵を描く子が現れだした。恐ろしさと、子供らしいかわいらしさが混在した、心の叫びが聞こえそうな絵でした。 児童養護施設の子どもたちは、絵だけでなく、音楽や踊りなど、様々なアートを体験しました。 そして、4年、5年と表現活動を続けることによって、夜中に泣き叫んだり、怖くて海に近づけない子供もいなくなっていきました。 東日本大震災が起きて子供たちが起こしたアクション 子どもたちが津波を経験してから6年目。東日本大震災が発生し。タイにも津波が日本を襲う映像がニュースで流れた。子供たちはすぐに動きました。 翌日の2011年3月12日に町でタイ舞踊を披露して募金活動を行いました。 パネルも手作りです。 タイで一番津波の被害が大きかった小さな港町では、一日500円ぐらいで生活をしているのが標準的な決して豊かではない町なのですが。子供たちは20分間で8万円ぐらいの募金を集めました。 自分たちも津波でつらい思いをしたし、日本に支援をしてもらったから、日本にお返しをしたいという気持ちが起こしたものだと思いますが。作戦勝ちの部分もあります。右下の写真は銀行の前です。ここで募金活動をするのは、なかなか賢いです。お金を下してすぐに募金をしています。 東日本大震災後に起きたことですが。子供たちが自分の描いた絵をプレゼントしてくれるようになりました。 子どもたちは、日本から流れてくる津波の被害のニュースを見て、自分たちに何ができるかを考えて、日本の津波被災地に想いを馳せてたくさん絵をかきました。いろんな津波を経験した村のこどもたちが絵をかいて。日本人とみるやプレゼントしてくれました。 福島の原発事故も子供たちに衝撃を与えたそうです。放射能はこどもたちにどんな影響を与えるのかわからない。だから余計に恐ろしいと感じ、同じ星のもとに生まれた子どもたちの将来のことをとても心配してくれました。 2012年には、タイで津波に遭った女の子が日本に来て子供たちを励ましたいと福島県を訪れました。しかし、当時は子供が安全に遊べる場所が少なく。あったとしても、入れ替え制で、しかも毎回満員ということで、福島県内で子供たちを応援するタイ舞踊はできませんでした。 ところが、津波の被害に遭った茨城県の大洗リゾートアウトレットが急なお願いを聞いてくれて、日本の津波からの復興を祈願したタイ舞踊を披露することができました。 大洗リゾートアウトレットにて 2012年4月4日 タイで津波に遭った子供たちは今 2004年12月の津波から17年が経過し、18歳まで預かっている児童養護施設では、津波を経験した子供たちはすべて卒業してゆきました。 代わりに、津波の事を知らない子供たちがたくさん施設にやってきました。 その子供たちに、津波の経験を伝えるのに、東日本大震災の慰霊祭はひとやくかっています。 2017年3月11日タイで行われた東日本大震災慰霊祭の準備の様子 他の地域で起きた自分たちの地域で起きたことと似たような出来事を照らし合わせることで津波の経験を次に伝える機会をつくりだします。そして思いやりの精神をまなびます。また、体を動かして創作活動をすることで、より印象深く学びます。 津波を経験して児童養護施設で育った子供たちの一部は、児童養護施設を支える重要な存在になっています。オーストラリアに留学してNGOのマネージメントのMBAを取得して施設運営のボードメンバーになっています。 上の写真の黄色い服を着た女性は、このページの上の方で濃い緑色の制服を着て映っています。2007年2月に彼女は将来何になりたいかを描いてもらったのですが、この児童養護施設の絵を描きました。それから10年以上が経過して。幼稚園の教員の免許を取得し、児童養護施設を運営している幼稚園の先生をやっています。 しかも彼女は2012年3月11日のNHKニュースのタイで行われた東日本大震災慰霊祭の話題の中でのインタビューで、東日本大震災の被災者に対して「同じ星のもとに生まれた人に幸せになってほしい」と語っていました。 津波の経験、将来の夢を絵にしたことで、実際にその夢を現実のものにしていっています。 子どもたちのアートへのアクセスは、そういう人を育てます。 そして、アートを通して自らが元気になった経験が、また津波が襲う可能性がある地域の子供たち、様々な問題を抱えた子どもたち伝えられてゆきます。 東日本大震災11年目に思うこと 東日本大震災の被災地では、映画の出前上映を1000回やった団体があります。これもアートへのアクセスです。 アートへのアクセスは、人間らしさを培うものです。 人間らしさを培うことで、地域の良い経験を将来に繋ぐことができます。 東日本大震災から11年。コロナでなかなか支援活動が厳しかったり。 東日本大震災は11年、熊本地震の地域も6年ということで、朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」で描かれたように、まだまだ心を取り戻せない人がたくさんいるにもかかわらず。この3月末の年度末で、10年、5年というキリの良い数字の年度の変わり目ということで、コロナ禍の陰でいろんな公的支援が終わってゆきます。 だからこそ、アートを通じた活動が重要です。 |
クラウドファンディング
アートはみんなのものでは、すべての人へのアートのアクセスを応援いたします。
ぜひ、みなさんの力をお貸しください。
今回の5000円コースでは、作品をみなさんにお届けすることで、子どもたちが作品をつくるための費用を捻出する費用に優先的にお金がゆきます。
https://camp-fire.jp/projects/view/532468
ぜひ協力願います。
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