森に還りゆく町、財政破たんから12年の夕張を訪ねる〈前編〉

もくじ

  • さをり織りがきっかけで夕張に通うように
  • 夕張支線の廃止
  • カーナビにダムに沈んだ町が現れる
  • 坑道火災後でも見ごたえがある夕張市石炭博物館 〈後編に掲載

さをり織りがきっかけに夕張に通うように

私が最初に夕張を訪れたのは12年前の6月だった。
夕張にある障害者施設の清水沢学園でツナミクラフトをヒントにさをり織りの製品をつくるということで、実際にどのような所で、どのような人たちがつくることになるのかを見に行ったことがきっかけだった。
子どもの頃、ブルートレインブームがあったのだが、その時に買ってもらった日本のいろんな鉄道が載っていたケイブンシャの子供向けの小ぶりな図鑑に「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」が蒸気機関車で客車を引っ張って走る私鉄として紹介されていた。いつか乗ってみたいと思っていたのだが1980年代に廃止されたそうだ。そんな記憶もあり、さをり織りをきっかけに夕張と縁が出来たこともあり。よし、行ってみることにした。
東京から東北北新幹線に乗り八戸まで行き、苫小牧までフェリーで渡り、そこからレンタカーで夕張に向かった。フェリーの二等席の部屋で隣にいた方は、たまたま夕張出身の方だった。 私が夕張の施設の支援に行く事を聞いて夕張の話題になった。 夕張が財政破たんすることを残念がっていた。
それから12年、毎年この時期に夕張に通うようになった。

〈参考〉12年前に夕張に行くいきさつについての関連記事

最初に夕張に来たときは、人口が1万2000人ぐらいで、すでに夕張の最盛期の人口の1/10をきりつつあった。今は人口はさらに減って8000人を切った。

夕張支線の廃止

去年から今年にかけて夕張ではいくつか大きな変化があった。
まず、JR石勝線の夕張支線が廃止された。その夕張支線の廃止をJRに申し出た元東京都職員の夕張市長が退職し北海道知事になった。

2019年3月の夕張支線の廃止の時はたくさんの葬式鉄と呼ばれる鉄道ファンが訪れて、普段単行で走っているディーゼルカーが夕張駅のホーム長いっぱいの三両編成になって、しかも満員のお客さんだったそうだ。

あれから3カ月、線路に柵ができて立ち入り禁止になっている。

廃止後も、ぽつりぽつりと廃線になった所を見に来る人がいるらしい。
そんなことで、ありがとう夕張支線実行委員会が発行する『ゆうばり鉄道廃線マップ』というものが発行されている。JR夕張支線(国鉄夕張線)のほか、夕張鉄道、三菱大夕張鉄道、北炭真谷地専用鉄道、主夕張森林鉄道、下夕張森林鉄道、遠幌加別森林鉄道、福住人車など夕張の主な鉄道が載っている。厳密に言えば、いろんな引き込み線や炭鉱の坑道を走る線路もあるので全てのレールをカバーしているわけではないが、夕張の主な鉄道の跡を網羅している冊子になっている。
廃線跡を訪ねるには、ルールとマナーを守り。野生動物に注意が必要となる。

廃線になったあとも、鉄路の記憶を手元に残せるグッズ類もある。
夕張支線を最後まで走ったキハ40と炭鉱で栄えていた時代に石炭をたくさん積んだ貨車をけん引した蒸気機関車D51という2つの絵柄の数量限定Tシャツなどが気になった。

夕張駅

カーナビにダムに沈んだ町が現れる

夕張に来るきっかけとなった清水沢学園に寄ったあと、シューパロダムを見に行った。
ショーパロダムは大夕張と言われる地域にあり夕張川をせき止めて作ったダム。いまから6.7年前に完成した。
夕張市の人口がこの12年で減った要因のひとつがダムの工事が終わったということもある。工事で働いていた人たちが夕張から去って行った。ダム完成後、高年式のスバル・レガシーを見る頻度が減った気がする。ダム完成後、弁当の発注も激減したとも聞いた。

そして、ダムの完成と共にいろんなものが沈んでいった。

一つは森林鉄道。炭鉱の中で落盤をしないように支える柱になる木を伐りだすことに使われた森林鉄道だそうな。住宅の柱になるような木より細い、樹齢10年程度の木が使われていたので、短いサイクルで木を育てる林業が行われていたという。
この森林鉄道には特殊な形の鉄橋があったのだが、それもダムに沈んでしまった。

もう一つは、自然に還ろうとしていた町。
大夕張は、三菱系の採掘会社が炭鉱を持っていたのですが。明治時代に行った契約に基づいて、閉山した後に人工的に作ったものを撤去をするという事を行ったと聞いた事がある。鉱山の施設だけでなく、店舗、家屋も解体し、道路をはがして水道管なども撤去をした。
そうやって、自然に還ろうとしていた町のひとつが鹿島地区だったのですが、皮肉にも人工的に作ったダムに沈むことになった。

鹿島地区は、1970年代に別の場所に新しい炭鉱が開発され、そっちに人が流れたあと。1980年代に閉山した事で、最盛期には1万1000人いた人口が300人ぐらいになり。1990年代にダムの計画が具体化して、最後の300人が清水沢地区に集団移転で移住して無人になったそうだ。そして、2014年にダムの試験注水をして水没した。

清水沢から芦別に向かう国道を走り、トンネルをくぐるとシューパロダムが目の前に広がる。しばらく走り、ふとカーナビの画面を見て目を疑った。
なんと、ダムの湖の中にかつてあった町の地名が表示されているではないか。

かつてこの町で暮らしていた人たちは、どのような気持ちでこの画面をみるのだろうか。

〈参考〉12年前に大夕張を訪れた時の記事

後編へつづく