タイと日本との津波からの復興の違い(3) 2年で仮設住宅解消
この夏のスタディツアーのPRのため最近ラジオへの出演が多いのですが。そこで興味深く聞かれるのは、タイと日本との復興の違いについてです。そこで、何回か連載でその復興の違いについて触れてみようと思います。今回はその第三弾「2年で仮設住宅解消」です。
第一弾では、津波後に人口が増加した話をしましたが。前回は、なぜ人口が増加したかの要因として「仕事」の面について書きましたが、今回は「住宅」の話です。
タイの津波からの復旧と、東日本大震災との大きな違いの一つは、タイは住宅の復旧が早かったという事が挙げられます。タイと日本とは住宅の構造が違い、タイの方が簡素であるとはいえ、人らしい生活が出来る場としての住宅の復旧が早いほど、その地域から人が離れることを防ぐことができます。
仮設住宅は津波の3日後から建設が始まった
プーケットの住民からの証言で裏どりが必要なのですけど、日本では考えられない早い対応です。タイ最大の避難所のあったバンムアンキャンプでは津波から2週間後には仮設住宅の建築が急ピッチで進められていて、金づちなどの音が夜中も聞こえていたそうです。(白石昇著『津波 アンダマンの涙』より)
早い仮設住宅の建設のおかげで、各家庭ごとに配布されたテントでの避難暮らしから解放されたとのことです。
仮設住宅の形は木造のものもあれば金属製のものもあります。
この写真は、バンムアンキャンプのあった場所に津波の記憶を残すために再現された仮設住宅街です。金属製の高床式です。部品点数が少ないので、素早く建てられるのがポイントです。鉄製なので暑いのですが、庇が大きかったり、床下スペースがあるので、日影が確保されています。電気は各戸に供給されますが、トイレや炊事、洗濯は奥にある共同スペースで行います。当時ボランティアとして滞在していた方によると、共同トイレが原因で伝染病が流行った事があったそうです。狭い場所に3000人が暮らすとなるといろんな問題が起きます。
離島の少数民族も政府によって仮設住宅で暮らす事になったのですが、いろんなカルチャーショックがあったとのことです。例えばビーチサンダルを履く習慣がなかったので、たくさんのビーチサンダルが並ぶと自分のビーチサンダルがわからなくなるとか。扇風機を知らなくて、とても涼しくスゴイと思ったのですが、扇風機が首を振るので、涼しい所にいようと、扇風機の首を振るのにあわせて人が動いたそうな。最もよかったのはアイスクリームが美味しい事を知ったとのことです。とはいえ、そんな仮設住宅の暮らしは、いままでの暮らしとは全く違うものであり苦痛だったそうで、村人が話し合い集団逃亡をして元の村に戻ったそうです。しかし、すぐに政府に見つかり仮設住宅に強制的に連れていかれたそうです。そして、しばらくして、また集団逃亡をしては仮設住宅に戻されたそうですが、三回目にはあきらめられたようで元の島で暮らすこととなったそうです。
集団で逃亡が出来たのは、コミュニティを崩さずに仮設住宅に住んだからともいえます。阪神淡路大震災では、仮設住宅の入居について、高齢者などを優先して入居させるという事や、公平性を考えて抽選制にしたことで、元の地域コミュニティが解体されてしまうという事がありました。東日本大震災でも、コミュニティ単位で仮設住宅への移転が出来たのは岩手県宮古市だけという話も聞いたことがあります。1985年のメキシコ地震のメキシコシティではコミュニティ単位の仮設住宅移転と元の場所への復帰が行われたそうです。メキシコの経験はいろんな事情があったのかわかりませんが、結果として日本に生かされなかったようです。
仮設住宅は2年以内に解消し復興住宅へ
東日本大震災で深刻な津波の被害を受けた地域は七年目になってようやく仮設住宅が減りました。日本の仮設住宅は2年を限度に生活できる仕様になっているそうですが、実際はさらに長い期間暮らしていたという事になります。
タイでは仮設住宅は約1年半でほぼなくなり2年で解消し、元の場所で再建もしくは、津波が来ない場所などの復興住宅へ移り住みました。
日本で仮設住宅からの解消が遅れた理由は、高台移転や背の高い防潮堤の工事が終わらないと開発できない、土地の権利が複雑で土地の名義人に犠牲者など亡くなられた方が多く含まれていて区画整備などが遅れた、水道・下水・電気・電話のインフラの整備が大変などがあります。
タイの場合、高台移転の土地の取得が早かった。日本のようにリアス海岸で山が迫っていてそのまま住宅が建てにくいという事がないという事もありますが。住宅用地の土地の提供者が多かった。なぜ多かったというと、王室系の慈善団体が住宅用の土地を提供した場合買い取り、被災者に無償で提供するという方法をとったからです。とてもスピーディに住宅用地が確保できた反面いろんな問題も起きています。それは、安全ではあるが生活するのに不便な土地であるケースがあったからです。森の中や離島に突然、モダンな復興住宅街が現れてびっくりすることがあります。離島では特にモダンな住宅が住民のニーズにあわない事が発生し、ただで住めると予約したが、実際には住まずゴーストタウンになったケースもあります。こういう住むのに不利な土地に関しては、地権者がパーム椰子やゴムなどのプランテーションとして実際やってみたが効率が悪く処分したかった土地だった場合もあるようです。そういうところは住むにも不便なこともあるようです。
多様な復興住宅
日本の復興住宅の多くはいわゆるマンション型というか団地のようなスタイルが多いのですが、タイは戸建てもしくは平屋の長屋形式が多い。
タイの戸建て住宅は高床式になっているものが多い。これは床下のスペースを有効活用するためで、バイク置き場、ニワトリなど家畜を飼う場所、雨の日でも洗濯物を乾かす場所、ハンモックの設置場所などに利用できます。
壁の材料は伝統的な竹などで組んだものもあれば、コンクリートで作られたものなど様々で、復興住宅を計画した組織の意向によって違います。
日本の復興住宅は災害公営住宅と言われる市町村営の公営の建物であるのですが、タイの復興住宅は多様な組織が計画・開発しています。
まず、公的機関。公的機関もいろいろあるのですが、軍隊が開発したものがあります。厳密には公的機関ではないのですが王室のからんだNGOが作ったところもあります。これらは、外見がとてもキレイでモダンという特徴があります。実際に住んでみて使いにくい事もあるようですが、少数民族の方が離島の家とは別の雨季の別荘替わりに住んでいるという事もあります。伝統的な暮らしは家の中から釣りが出来たりと便利でしたが、現代的な暮らしをするのも時代の流れだとおっしゃってました。
次に民間が開発した復興住宅です。国内外のNGOや慈善団体のほかに企業や個人が開発したものなど多様です。これらは日本の復興住宅では見られないものです。
立地も元住んでいた場所にNGOが建てたものもあれば、元住んでいた町の一角に団地を形成するケース、津波が来ない地域に団地をつくるケースなど様々です。被災者のそれぞれの事情に合わせてどこに住むかを選択できました。
民間の復興住宅には、町の名前に開発した企業や組織の名前がついたり、スポンサーの名前が書かれていたりします。例えば、ライオンズクラブが開発したらライオン村、テレビ局が開発したテレビ局名がつきました。町の名前にこそなっていませんが、スポンサー企業としてフランスの化粧品会社や韓国のメーカーの名前が出ていたりします。
残念ながら日本企業の名前はありませんでした。実際には福祉施設などの建設の寄付とかをしていて、室内に寄付者の銘板がついていたりするのですが、ばーんと住宅街を作ってしまいましたという事はありませんでした。日本人は奥ゆかしいのですかね。
とはいえ、企業の名前が出ているというのは、CSR的なことだけでなく、東南アジア戦略としては大きいと思います。住むところに名前が出ていて毎日見ていたら、なんとなく、そのメーカーの洗濯機やテレビ、携帯電話が欲しくなる人も多いと思います。
最後に個人ですが。世界的に有名な歌手であるリッキーマーティンが作った復興住宅もあります。彼はお金を出しただけでなく、定期的にタイに通ってブロックを組むなどの作業を行っていたとのことです。オレオレオレー。
日本は福祉的なものは国なり行政の公的制度で行われるという印象がありますが、タイの福祉は公的なものだけでなく民間の力も強い。これは災害からの生活再建にも言えています。タイは助け合い社会だからできたのかと。
テレビでも「コンタイ・チュアイガン」タイ人は助け合いましょうというコピーが流れていた。このタイ人の定義はタイ国籍の人という事だそうで、民族や宗教やルーツが違ってもタイ国籍ならタイ人だそうです。
そして、ここは日本との大きな違い。
復興住宅はタダ
日本に比べてタイは簡易な作りだからできるのですが。日本では一定期間が経てば割引制度が終わってしまい家賃が上がってしまうという災害公営住宅もあります。
ただし、タダだからこその欠点もあります。それはせっかくもらった家を粗末にするという事です。例えば住みにくいからと出て行ってしまう。場合によってはゴーストタウンに。
そんなことで、タイの現場で何か起きているかをこの目で見てみるスタディツアーの申し込みはこちら。7月20日までになるべくお申し込みください。まずはお問い合わせを。
「タイと日本との津波からの復興の違い」は、まだまだ続きがあります。次回は「心のケア」についてです。
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